若いときには、ずいぶん嫌いなものが多かった。
何かを嫌いだ、と主張することは簡単で、気持ちが良い。
本当に嫌いだったわけではない。
嫌いだと思い込むことで、自分を確保できる、そんな幻想があった。
何かを嫌いになることは、軟弱な自分には都合が良い。
若者は皆、好きなものを求めるのと同じだけのエネルギィを使って、嫌いなものを一所懸命探している。
そうすることで、自分が明確になると信じている。
それだけのことだ。
彼女は、もう子供ではない。
自分が好きだろうが、嫌いだろうが、そんなことはものごとの本質とは何も関係がない。
意味がないのである。