悲しみの秘義(若松英輔)

読み始めると、時間の流れが、ふっと変わります。

【悲しみの秘義(若松英輔)】

文字の量としては、その日のうちに読み終えられる本。

でも、ひとつひとつを感じて読むのに、何日もかかった本です。

難しいからでも、つまらないからでもない。むしろ逆。

読者の深いところに、雄弁に語りかけてくるので、

言葉を受けて返して、また受けるのに忙しく、おもしろい。

生半可には読めなかった。

私は、普段こうして文章を書いているけれども、

芸術性によるものではなくて、コミュニケーションの色合いが強いんですね。

私が書く、誰かが受け取る。誰かが書く、私が受け取る。

そうして言葉が世の中をめぐる。

言葉を尽くして語り続けて、それでも言葉にならない、最後に残る何かが、

その人にとっての、大切な何かである、と思っていて。

言葉は、書き手と読み手がいて完成する、コミュニケーションなんです。

この部分が、読みながら、激しく共鳴した。

若松さんは、たびたび、

読者がいてはじめて、言葉は成立する。

という意のことを書かれています。

“言葉は、書かれただけでは未完成で、読まれることによって結実する。

読まれることによってのみ、魂に語りかける無形の言葉になって世に放たれる。”

“書かれた言葉はいつも、読まれることによってのみ、この世に生を受けるからだ。”

ああ、私がこの言葉で、語ってみたかった。

そう思うような、美しいかたちで、表現してくださる。

読者の役割が、こと大きく、正面から問われるような本だからこそ、

ふいに時間の流れが、ゆっくりしたものに変わり、

作者と語りあう世界に、

言葉を尽くした先にある自身の世界に、

没頭するひとときになるのです。

“内なる詩人”を、呼び覚ます一冊です。

また読もうと思います。

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