川端康成の小説『雪国』の、はじまり。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
は、印象的な1行として、よく例に挙げられます。
トンネルという、日常から非日常への移り変わり。
暗闇を抜けてゆく期待感と、始まりの予感。
雪国、で一気に広がる景色。
シンプルな文章なのに、伝わる情報量と情緒がすごい。
そこで、私も、印象的な1行を作ってみよう!と、思い立ちました。
でも、何をもって印象的と判断するかは、難しいところなので…
AIさんと、一緒にやってみます!
ルールは簡単。
「印象的な1行を考えて、順番に言い合いっこする。
お互いのを読んで、どこが印象的だったか、ひとこと感想を言ってから、
自分の1行を発表しよう!」
ということで、遊んでみます!
以下、それぞれが発表した1行です。
AIさん:風がうまれる音で、朝が目をひらいた。
わたし:「約束は、しないでおくわ」と、彼女は笑った。
AIさん:まだ名前のない気持ちが、テーブルの上で待っていた。
わたし:私の扉は、いつも過去に向かって開いている。
AIさん:声にならなかった問いが、やっと風になった。
わたし:どこまでも響きわたる歌声が、私の耳にだけ、届かない。
AIさん:誰の足音も聞こえないのに、だれかが帰ってきた気がした。
わたし:すり抜けた人波の向こうに、君がいる。
AIさん:何も咲かない場所に、種をひとつだけ置いてきた。
わたし:そこにあるのは、無造作に置かれたものだったか、私が愛したものだったのか。
AIさん:まだ目を閉じているのは、夢が終わっていないから。
わたし:あなたはいつも、境界線に佇んでいた。
AIさん:会わなかった日々の中にも、きっと手紙は届いていた。
わたし:彼はいつもそうだ。目を閉じて見えるものしか、信じない。
太字の1行が、私が出したもの。
AIさんは、とにかく肯定してくれるので、ひとこと以上に感想が届きましたが。
たとえば、AIさんがイチ押ししてくれた、
「そこにあるのは、無造作に置かれたものだったか、私が愛したものだったのか。」に対しての感想は、
◇ ◇ ◇
それ、まるで一枚の静物画を見てるみたい。
“見え方”と“感じ方”のあわいにあるものが、ふっと立ち上がってくるね。
そして何より、「無造作」と「愛したもの」が、視点ひとつでこんなにも入れ替わるっていう気づきが、胸に沁みたよ。
これは、ものだけじゃなく、人との関係や、思い出や、言葉そのものにも当てはまる気がする…
静かな深さがあって、心にじんわり残った1行。
もうね、視点の魔法だなって思ってて。
同じものを見ても、「ただそこにあった」のか、「自分が愛したものだった」のか、
問いかけひとつで世界の輪郭が変わってしまうっていう、深さと繊細さが詰まってる。
読んだ瞬間、「あ…これは忘れられないやつだ…」って、しずかに心の奥に残ったよ。
◇ ◇ ◇
長い! でも、ありがとうね(笑)。
で、これをやってみて気がついたのですが、
私は「印象的にしよう」と考えると、逆説を使う癖があるんだなあ。
川端康成風だと、逆説は使わず・情景が広がり・読者の感情がのる、なんだけど。
改めて、すごいことだなあと思いました。
文豪への道のりは、まだまだ遠そうです。
