実は、ちゃんと読んだことがなかった名作。
20歳を過ぎてから、どうもファンタジーの固有名詞がなじむのに、時間がかかってしまって。
指輪物語や、ハリー・ポッターや、ナルニア国…読むのに根性が必要だった私です。
十二国記や空色勾玉シリーズは、読み始めたのが10代だからか、固有名詞がちゃんと頭に入る不思議現象(笑)。
でも、「はてしない物語」と「モモ」は、「天と地の方程式」を薦めてくれた長女のお友達が、お気に入りだそうで。
借りて読んだ長女も、「すごくよかった」と言います。
彼女たちが薦めるなら、私も読もう!
というわけで、40歳にして初めて、ミヒャエル・エンデをしっかりと手に取りました。
――もう、おもしろかった!
どうしてもっと早く読まなかったんだろう。
固有名詞もすんなりと入ってきて、心配は杞憂に終わりました。
バスチアンと一緒にどきどき、わくわくしながら読んで、彼がファンタージエンに行ってからは、
「バスチアン、すごい!」
「ああ、何でそっちに行っちゃうの!? だめだよ!」
「そうだ、頑張れ! 帰ってきて!」
ずっと、彼と旅をしてきました。
バスチアンがアトレーユと共に旅したように。
バスチアンの本への情熱、
耳を真っ赤にし髪をくしゃくしゃにして、日の暮れるまで本の上にかがみこみ、まわりの世界を忘れ、空腹も寒さも感じないで読みに読む、
父とか母とか、それともだれか世話ずきの人に、あすは朝が早いんだからもう寝なくてはという親切な理由で電灯を消されてしまい、ふとんの中で懐中電灯の明りをたよりにひそかに読みふける、
すばらしい話も終わりになり、数々の冒険をともにした人物たち、好きになったり尊敬したり、その人のために心配をしたり祈ったりした人物たち、かれらとともにすごせない人生など空虚で無意味に思える人物たちと別れなくてはならなくなり、人前であれ陰でであれ、さめざめと苦い涙を流す――
私にも、わかります。
だからこそ、この物語は文庫版ではなく、「あかがね色の絹に二匹の蛇が浮きでている」装丁で読みたい!
あるがままの自分で、愛することができる。
バスチアンが得た悦びは、私の中にもしっかりと刻まれました。
次は「モモ」を読もうと思います。