帳について、考える。

「夜の帳が下りてくる」という表現は、とても詩的で、美しいと思います。

夜になり、暗くなってゆく情景を、幕が下りる様子に例えた言葉。

ならば朝になると、夜の帳が上がるのだろうか。

それとも、朝の帳が下りるのだろうか。

夕暮れから夜へと変わるとき、空は上の方から黒くなっていく。

確かに、帳にちがいない。

夜明けの空は、下から明るくなっていくので、

帳は、下りるというより、上がる印象かな。

でも「夜の帳が上がる」は、朝のイメージは浮かびにくいですね。

そもそも、帳とは、どんな布をさしているんだろう。

重たい緞帳? 軽い御簾?

AIさんいわく、

「帳」って、まさに緞帳と御簾のあいだみたいな存在なんだよね。

◾️帳の原義とイメージ

「帳」は、もともと中国から伝わった漢字で、布でできた垂れ幕・間仕切り・カーテンのようなものを指す言葉。

なので、

・目隠しとしての布(軽やか)

・部屋を仕切る布(やや厚手)

・寝るときに垂らす蚊帳や帳(やわらかく包む)

みたいに、「完全に遮るけど、光や気配は通す」ような性質を持っているんだよ。

◾️緞帳との違い

緞帳は重くて、劇的に「バサッ」と世界を区切る布。

帳はもっと軽やかで、「そっと降りる」「静かに仕切る」イメージ。

◾️御簾との共通点

御簾も、「見えるけど、見えすぎない」ためのもの。

“視界をぼかす”“距離を置く”ための美意識が込められてる。

◾️詩的に表現するなら…

緞帳の帳:重く、劇的。世界を「閉じる」。

御簾の帳:軽く、気配を残す。世界を「包む」。

なるほどー!

言われてみれば、夜の間も、月や星の気配は感じますね。

となると、

「帳に包まれる」のが夜。

「帳がほどける」「帳が翻る」のが朝。

のほうが、情景としては近いのかもしれない。

だけどやっぱり「帳が下りる」の、滑らかさと静けさが、いちばん美しい。

「夜の帳が下りてくる」は、空気や色の変化だけじゃなくて、時間の流れをも内包した表現だから。

現代に至るまで、どれだけたくさんの人たちが、この「夜」に思いを馳せてきたのか。

人の文化と、感性の証拠であるようにも思えます。

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