私は、Facebookでの日記のほかに、
noteでは、詩やエッセイを中心に書いています。
この間、お友達と“詩の書き方”について話したら、それがめちゃくちゃおもしろかったんです!
【“詩”の世界】
「詩に書こう」と思う出来事と、そう思った自分がいて、詩を書くわけなのですが。
私は、そのときの自分の視点に戻って、出来事を内側から見ている感覚。
お友達は、出来事とそのときの自分を、外側から今の自分が見ている感覚。
また、私は、一枚の写真のように、切り取って書きます。
ひとつのフォーカスしたいものがあって、それを真ん中に据えて、いちばん引き立つ言葉を綴っていく。
内側から外側へ向かっていく感覚。
お友達は、いろんな角度から連想して言葉を綴り、ショートフィルムのように繋げて書きます。
外側から書くことで、内側の形が見えてくる感覚。
私にとって、詩はコミュニケーションです。
伝えようとする意志があるもの。
伝わるように、言葉を選んで磨いて削ぎ落として、推敲します。
お友達にとって、詩はそのまま流れ出るものです。
一筆書きで、流れをもって書いています。
同じ“詩”という対象に絞っても、これだけ感覚が違うとは、正直思っていませんでした…!
#そもそも詩を書く人口が周りに少ない
#語り合える人口はますます少ない
お互いに新鮮で、お互いに相手の感覚が、
「えっ、それで書けるの、すごくない!?」という驚きに満ちていて。
さらに“文章”“発信”そのものを対象に考えたら、
本当に、十人十色の感覚で、書いているんだろうな。
人の数だけ、目に映す世界を捉える感覚がある。
なんて素敵で、奥深い世界なんだろう!
そして、私の作品に対して、こんな言葉をいただきました。
「中川さんの詩は、読んでいると、自分にもその情景が浮かぶんです。
こういう世界の見方をしてるんだな。いいなあ。って。
中川さんの詩は、自分がある詩。
どっしり真ん中に、中川さんの感情があって、そこから世界を見たら、こう見えるんだ、を話してる。
中川さんの目線が伝わります」
「絶対に、どの詩を読んでも“中川さん”なんですよね。ブレない。
自分は、たとえば同じ空を見ても、そのときの体調や気分によって、綺麗だなって思ったり、腹が立ったりする。
感情の下に、確固たる軸があるんだと思うんですよ。揺らがない」
「負の感情を書いていないわけじゃないのに、どの作品を読んでも、フッと明るくなれるんですよ。
マイナスでも『まあ、大丈夫だよ!』っていう」
純粋に、作品だけで、こんなにも伝わるものがあるんだな…って。
ただただ、嬉しかったです。
これからも、書きます。ありがとうございます!