小学校は、あんまり好きじゃない。
五年一組の女の子たちが、休み時間にこっちを見てくすくす笑っているのや、
男の子たちが、きたない言葉を大きな声でしゃべっているから。
「みおさん。おはよう」
教室はあんまり好きじゃないけど、図書室はちょっと好き。
図書のなつみ先生は、わたしの目を見てしゃべってくれるし、きたない言葉を使わないから。
「……おはようございます」
わたしの声がちいさくても、なつみ先生は聞き返さない。
なつみ先生は、きっとすごく耳がいい。
教室は、好きじゃない。
お腹のなかをぎゅうっとつかまれているみたいで、息ができなくなりそうだ。
今日も図書室に行こう。
給食が終わって立ち上がったとき、教室のすみっこで、なにかがきらっと光った。
窓際まで近づいてみると、青いビー玉が落ちていた。
すごくきれい。海の底みたいな、青い色。
指でつまむと、ひんやりと冷たい。
目を近づけてみた。ビー玉のなかに、ちいさな泡が見える。
そのまま、まわりをのぞいてみた。
ビー玉の向こうに見える教室は、青い海の底だった。
五年一組の子たちの、くすくす笑いも、きたない声も聞こえない。
苦しかった息が、すうっと楽になった。
わたしは本当は、魚なのかもしれない。
だから、人間の子たちにまじって、うまくできないのかもしれない。
もしもここが海の底だったら、きっとわたしが普通で、みんなが苦しい。
わたしは、このビー玉がほしくなった。
ここから教室を見ていたら、つらかったり悲しかったりしない。
海の底にいれば、わたしは息ができる。
だけど、誰のかわからない落としものは、先生に言わなくちゃいけない。
落としものを勝手に自分のものにしたら、どろぼうになってしまう。
でも、この海の底を、わたしは持っていたかった。
ぎゅっと手のひらにビー玉をにぎったとき、
「ねえ。それ、あたしの。返して」
いつもくすくすと笑っている女の子が、目の前に立っていた。
ぐい、と突き出された手は、なんだか怖いもののように見えた。
わたしは黙って、女の子の手に、青いビー玉をのせた。
やっぱり息ができなくなって、じんわりと涙が出た。
「そうか、そのビー玉は、みおさんの海だったのね」
誰もいないところで、なつみ先生は、わたしの話を聞いてくれた。
図書室に着くころには、涙は出ていなかったはずなんだけど、なつみ先生はわたしが泣いていると思ったみたいだった。
「ねえ、みおさんの名前は、漢字で書くと『海音』でしょう」
「……はい」
「先生もね、夏が入ってるの。夏の海と書いて、『夏海』っていうの。だからかな、海が好きなのよ」
なつみ先生は、図書室にある海の写真集を見せてくれた。
地球にはいろんな海があって、いろんな青がある。
「いつかきっと、みおさんだけの海が見つかるわ。みおさんがとっても心地よくて、ずっとここにいたいと思う海」
わたしだけの海。そんなところが、本当にあるんだろうか。
そこは、息が苦しくなったり、悲しくなったりしないんだろうか。
なつみ先生の顔を見た。なつみ先生は、ふふっと笑った。
--もう、八年も前のことだ。
私は中学生になって、高校生になった。
文芸部に入って、仲良しの友達もできた。
書きたいこと、言葉にしたいことが、たくさんある。
教室の中にいても、息が苦しくなることはない。
小学校を卒業してからも、夏海先生は毎年、葉書を送ってくれる。
去年の暑中見舞いには、
『高校最後の夏ですね。海音さんの海は、見つかりましたか?』
と書かれていた。
今年の年賀状に、私は『私の海を見つけました』と書こうと思う。
あの青いビー玉よりもきれいで深い、私の言葉でいっぱいの海の話を。
