「ここが、みのりの生まれた町かあ」
一両しかない電車に乗って、無人駅に降りたったマサキが、感慨深そうに目を細める。
「おじいちゃんみたいなこと言わないでよ、もう」
わたしはつい、彼の腕をべしっと叩いてしまった。
「俺、都会生まれの都会育ちだからさ。こういう田舎っていうの? 憧れてたんだよね」
うん、知ってる。だって私は、都会の人と結婚したかったんだもん。
ホームに出た瞬間から、じゅわじゅわじゅわ、と蝉がやかましい。
「何にもないところだよ。遊ぶとこもないし、コンビニだって車で行かなきゃだし」
「田舎には、何にもないがある。って、なんかの広告で見たよ。でもほら、こんなに緑がきれいだ。夏空に映えるね」
駅を出ると、道の両脇に田んぼが広がっている。
「暑っつ……」
私がつぶやくのと、
「ああ、風が涼しい気がする」
マサキが大きく伸びをするのが一緒だった。
「すごいね。草原みたいだ。みのりの故郷、いいところだね」
あたりまえの景色、あたりまえの色彩。
いちいち感動できるマサキの感性は、好きだけど。
「結婚したら、毎年帰省するよ、俺」
気が早いな。うちの両親にだって、これから初めて会うっていうのに。
「私だって、そんなに帰ってないよ。仕事もあるしね」
そもそも私、田舎が好きじゃないし。
とは、無邪気に喜ぶマサキを目の前にして、言葉を飲み込んだけれど。
何が嫌かって、まず不便。一両しかない電車は、二時間に一本しか来ない。
買い物する場所も、ごはんを食べに行く場所も、とにかく遠い。
やたらと虫が多いし、玄関の鍵はかけないし。
何より、田舎特有のご近所ネットワークが嫌だ。
進学した、就職した、結婚した、子どもが生まれた、離婚した。そんな話は、光の速さで町をめぐっていく。
どこそこの誰々があそこで何々していた、なんて話が食卓にのぼるのも、日常茶飯事。
高校生のころ「みのりちゃん、あんた昨日、一緒に歩いてたの彼氏けぇ?」って、あっけらかんと近所のおばちゃんから言われるの、もう本当に嫌だった。
大学進学と同時に家を出て、そのまま就職した。田舎に住む気はなかったから。
恋人を探すときの、ゆずれない条件も「都会で仕事をしていて、実家が田舎じゃない人」だったぐらいだ。
マサキはその条件にぴったりで、都内のデザイン会社で働いていて、出身も都内で、なおかつお互いに恋愛感情を抱ける相手だった。
結婚しようって言ってくれて嬉しかったし、マサキのご両親もやさしそうな人たちだったし、仕事もこのまま続けていくつもりだし、何の問題もない。
「みのりのご両親にも、挨拶に行かなくちゃね。みのりの生まれ故郷も見てみたいよ」
というわけで、はるばる。私は、すごく久しぶりに。帰省してきたわけなのだ。
蝉がうるさすぎて、すでにテンションが下がりぎみの私と、デザイナーゆえの視点なのか、くっきりとした景色の色合いに喜ぶマサキと。
まあ、都内にはない景観ではある、よね。
「しばらく歩くよ? 大丈夫?」
夏の昼間は、散歩に向いている時間帯とは言い難いけれど、
「うん。せっかくだから、みのりがいろいろ案内してよ。思い出の場所とかさ」
大好きな恋人に、満面の笑みでお願いされたとあっては、いたしかたなし。
帽子をきゅっとかぶり直して、周辺をぐるりと回りながら、実家に向かうことにした。
「ここが、私の通ってた小学校。ちっちゃいでしょ。子どもも少なかったからさ」
田んぼに囲まれた、記憶の中よりも黄色みがかった白い壁を指さす。
「ひとつの学年が、一クラスずつしかなかったんだよ」
「そうなの!? 俺の学年、六クラスだったよ。教室ぎゅうぎゅうだったなあ」
だろうなあ。きっとそれ、一クラスの人数も違うと思う。
「あっちに見えるのが、スリッパ山。ほら、スリッパみたいな形してるでしょ」
「ほんとだ! え、正式名称がスリッパ山?」
「なわけないでしょ。でもほんとの名前、知らないんだよね。実は」
何それ、おもしろいね、とマサキが笑う。
夏の青空の下に、大きな緑のスリッパが鎮座している。
夜中に、巨人が履きにくるかも……なんて、友達と話したことがあったっけ。
山を背に道を曲がると、昔ながらの家が立ち並ぶ。
「このへんが通学路で。あ、デンキやさんがなくなってる。いっつもテレビが点いててさ、下校途中に見ちゃうと怒られるの」
町の電気屋さん、みたいなお店だったのだろうか。
洗濯機が壊れたときも、冷蔵庫が壊れたときも、いつもここのおじちゃんが家に来てたな。
その先には、濃い木目の大きなガラス扉のある、古びたお店。
同じく古びた、薄いカーテンがかかっている。
「ここが、ンの店」
「へ? ン?」
マサキはきょとんと私を見た。
「えっと……あ、まだあった。ほら、あの看板」
書かれていた文字が、雨風でなのか年月でなのかほとんど消えて、
『 ン 店』
としか読めない。
「もともとは何の店だったの?」
「うーん……学校で使う文房具は買いに行ってたし、アイスも売ってたような」
カーテン越しに見える店内は、すっかり空になっている。大きなアイスクリームのケースには、見覚えがある。
何々商店、とかだったのかもしれない。私が小学生のころには、すでにここは「ンの店」だった。
いちおうは商店街だった通りを抜けると、再び右手には田んぼが広がる。
左側の、こんもりとした木に囲まれているのが、
「おばけ神社。よく遊んでた。夜に入ると、おばけが出るって噂だった」
「みのり、夜に行ったことある?」
「ないよ! 怖いもん!」
あははは、とマサキは楽しそうに笑う。
「で、あっちの田んぼの真ん中に、木が一本立ってるとこがあるでしょ。あそこが秘密の小島」
ちょうどこの時期は、わさわさと生い茂る稲に囲まれて、ジャングルを抜けた先の秘境のような雰囲気になるのだ。
田植えが終わったばかりのころは、海に浮かぶ無人島みたいになる。
友達と、よく秘密基地にした場所だ。
私がそう話すと、マサキは、
「いいねー! めちゃくちゃ冒険じゃん! 俺も行きたい」
目をきらきらと輝かせて、小島を見つめるのだった。
ぐるりと回って、田んぼの向こうの道を曲がれば、もうすぐ実家が見えてくる。
「それにしても、マサキ、楽しそうだね。ほんとに田舎が好きなんだ」
疲れたそぶりもなく、にこにこと隣を歩く彼を見上げた。
「みのりが楽しそうだからさ、俺もつい」
「え?」
私、田舎は嫌いなんだけど。いつだって、この町を早く出たいとしか思ってなかったんだけど。
「何かさ、みのりが育った場所って、幸せなところだなって思った」
私が育った場所。
ちっちゃな小学校。巨人が履きにくる、スリッパ山。
テレビのあるデンキやさん。おこづかいを握りしめて行った、ンの店。
遊び場だったおばけ神社に、秘密の小島の秘密基地。
「みのりと、一緒に過ごしてみたかったな」
マサキは、遠くに広がる空を眺めていた。
角を曲がる。私の育った家が見える。
「じゃあさ、挨拶がすんだらさ。ちょっとだけ、遊びに行こうよ」
大好きな恋人の手を、子どもみたいにぎゅっと握った。
「秘密基地、連れてってあげる」
「ほんとに!? やったー!」
子どもみたいにマサキは笑って、ぎゅっと手をつなぎ返した。
「俺と一緒なら、夜のおばけ神社はどう?」
「やだ! 怖いから!」
つないだ手を、大きく振って歩く。
夏空に、しゅわしゅわと蝉の声が溶けていく。
