2冊目の、凪良ゆうさんです。
【わたしの美しい庭(凪良ゆう)】
帯に“救いの物語”と、書かれていました。
心に絡むいろんなものを、断ち切ってゆくお話なので、
最初は、自分自身を取り戻すような救いなのかな。と思っていたんです。
想像していたのは、
「ありのままでいいんだよ」
「頑張りすぎなくていいんだよ」
「私は私でいいんだよ」
だけど、少し違うようでした。
それもあるのだけれど、そうじゃなくて、もっと…
「生きてていいんだよ」
「そこに、いていいんだよ」
のほうが、近いかな。
自分の存在そのもの、じゃなくて。
過去や現在の私がどうであれ、未来の私がどうなろうとも、生きていていい。
そんな世界に、救われる。
そんな世界を、自分も選べる。と感じられるから。
物語の最後で百音がいう、
“そういう誰かの『かいしゃく』とは関係なく、わたしは楽しく暮らしている。”
ということなんだと思います。
今回、2冊目の凪良ゆうさんを読んで、
彼女が描く世界には、やっぱり透明感があるなあ…って。
さらさらと流れる、小川のようです。
水面は、光を反射して、きらきら輝いているけれど、水の底には、泥も石もある。
生き物の死骸だって、ゴミだって、堆積している。
でも、そんな世界で、時は流れてゆくし、人は生きてる。
透明な時間が、いつか泥を洗い流すのかもしれないし、さらに積み上げるのかもしれない。
どちらにせよ、その流れの中で、私たちは生きているし、生きていていい。
私が触れた、凪良ゆうさんの世界には、そんな美しさと心地よさがありました。