【掌編小説】そこにある物語

夏休みの前には、図書館に行く。
おじいちゃんとおばあちゃんの家に行くからだ。

おじいちゃんとおばあちゃんは、すごく田舎に住んでいる。
畑と田んぼしかないようなところ。
そしてなんと、信じられないことに、あの家には本棚がない!
本を読まずに暮らすなんて、わたしには考えられない。
ふたりはいったい、毎日どうやって過ごしているんだろうか。

毎年、夏休みの数日間は、田舎へ泊まりに行くことになっている。
お父さんとお母さんの仕事の都合で、わたしだけが。
もう6年生だし、ひとりで留守番できるよ、って言ったんだけど、
「そうね、中学生になったらね」
と却下されてしまった。

「まあまあ、りっちゃん、よく来たねえ。大きくなって。さあさ、お荷物置いて、晩ごはんにしましょ」
お父さんの車で送られて、今年もまたやってきたわたしを、おばあちゃんはにこにこと見つめる。
お世話になります、とお辞儀をするお父さんに、おじいちゃんがおでこに皺を寄せたまま、「うむ」なのか「ああ」なのかわからない返事をしていた。
お父さんを見送ってから、本と着替えの入ったカバンを、よいしょ、と毎年泊まっている部屋に運ぶ。
縁側から、夜風が吹いてくる。土と草の匂いがする。
夏の始めは、まだエアコンをつけなくても、ほんのり涼しい。
田舎の家は、素敵だと思う。
広い畳の真ん中に寝そべって、本を読むのは気持ちがいいし。
ふと見上げる高い天井や、細く伸びた階段の先や、庭のすみにある蔵なんかは、まるで物語の中に出てきそうだ。
台所に行くと、もう夜ごはんが並んでいた。おばあちゃんは、
「りっちゃんの好きそうなものが作れなくてねえ、ごめんね」
って言うけれど、わたしはおばあちゃんのごはんも好き。
家のごはんより、給食より、野菜がダントツにおいしい。
お母さんが作る煮物は、のっぺりした感じがするんだけど、おばあちゃんの煮物はつやつやしている。
「おばあちゃんのごはん、好き。いただきます」
あらあら、まあまあ。おばあちゃんは目を細めて笑う。
おじいちゃんは、わたしをちらりと見てうなずくと、黙って自分のごはんを食べ始めた。
田舎の家と、おばあちゃんは好きなんだけど、おじいちゃんはちょっとだけ苦手だ。
怒りもしないかわりに、あんまり笑わないし、しゃべらない。
だから、何を考えているのかわからない。
本で読んだことがある。寡黙な人、というタイプなんだと思う。
学校はどう? 最近楽しかったことはある? お菓子は何が好き?
いろんなことを尋ねてくれるのはおばあちゃんで、答えるのはわたしで、そうなのねえ、いいわねえと聞いてくれるのも、おばあちゃん。
おじいちゃんは黙々とごはんを食べ続けている。
たまに目が合うと、うむ、とうなずく。
「りっちゃん、長旅で疲れたやろう。ゆっくり休んでねえ」
おばあちゃんが作ってくれたごはんを食べて、おふろに入って、わたしはごろんとふとんに寝そべる。
小さいころは、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に寝ていたけれど、もうひとりでも大丈夫だ。
というか、ひとりのほうが、ゆっくり本が読める。
図書館で借りてきた本の中から、いちばん分厚い一冊を抜き取った。
『精霊たちの物語』。外国のファンタジーみたいな表紙を、小さな明かりの下でめくる。
水の精霊と、土の精霊と、星の精霊が語る物語。主人公は、記す者。
精霊たちの物語を聞き、人々に伝えるために、冒険を始めるのだ。

目が覚めると、外はもうすっかり明るくなっていた。
「おはよう」
目をこすりながら台所に行くと、おばあちゃんが冷たいお水をくれた。
「りっちゃん、おはよう。早いのねえ」
感心したように言うけれど、わたしが起きたらすぐ食卓にごはんが並ぶし、なんならおじいちゃんはもう食べ終わった跡がある。
ふたりの朝は、わたしの数倍は早い。
「おじいちゃんは?」
「畑に行ってるよ。りっちゃんも行くかい?」
「うーん。とうもろこし、今年もできてる?」
おばあちゃんと一緒に行って、トマトやきゅうりを採るのは好きだ。
とれたてのとうもろこしを、ゆがいてもらうのも好き。
ぷつぷつと歯を立てるたび、甘くてみずみずしい汁が飛びちる。
「いいのが生ってるよ。あとで取りにいこう」
やった。今日のおやつは、とうもろこしだ。
おじいちゃんは、朝から夕方まで、ほとんど外にいる。
田んぼを見て、畑を見て、庭の草むしりをしたりしている。
おばあちゃんは、掃除や洗濯をするのはお母さんと変わらないけれど、家が広いぶん大変そうだ。
掃除機をかけるのを手伝ったら、ものすごく喜んでくれた。
畑や田んぼを見に行って、おじいちゃんにお昼ごはんを届けたり、庭の木や花に水をやったりもする。
おじいちゃんもおばあちゃんも、一日のほとんどを、動き続けている。
座っているのは、ごはんを食べるときと、洗濯物をたたむときぐらいかもしれない。

『物語とは、どこから生まれたのですか。』
少年は、精霊たちに尋ねる。
水の精霊は言う。
『物語とは、泉です。』
土の精霊は言う。
『物語とは、大地から生まれる。』
星の精霊は言う。
『物語とは、そこに在るもの。』
物語が生まれる場所に、少年はいままさに、足を踏み入れようとしていた--。

本の角が手に当たって、目が覚めた。
まだ薄暗い。昨日よりも早い時間みたいだ。
むっくりと起きて台所に行くと、おじいちゃんが朝ごはんを食べていた。
「……おはよう」
わたしが挨拶をすると、おじいちゃんは、
「……おはよう」
短くうなずいた。黙って立ち上がり、冷蔵庫を開ける。
麦茶のポットとコップをテーブルに置いて、再びわたしにうなずいてみせる。
ん。わたしのために、出してくれたのかな。
「ありがとう」
お礼を言って、ごくごくと飲んだ。
「あら、りっちゃん、おはよう。今朝も早起きねえ。よく寝れたかい?」
おばあちゃんがやってきて、ほがらかに話し始める。おじいちゃんは、さっさと食べ終わって、畑に行く準備を始めた。
「もう行くんだね、早いねえ」
誰にともなくつぶやいたら、おばあちゃんがうふふと笑う。
「おじいちゃんったら、りっちゃんがうちのお野菜、喜んでくれるもんだから、精が出るのよねえ」
おじいちゃんがふり向いた。
「……来るか?」
どうやら、わたしに言っている。一緒に畑に行こう、ということだろうか。
おじいちゃんとふたりか……。ちょっと尻込みしたけれど、おばあちゃんが、
「いいわねえ。おばあちゃんも、あとから行くからね」
なんて言うものだから、なんとなくそのまま、おじいちゃんについていくことになってしまった。

おじいちゃんの軽トラは、がたごとと揺れる。
お父さんの車よりも座席が高くて、遠くまでよく見えるような気がする。
おじいちゃんは田んぼに着くと、わたし側のドアを開けてくれた。
さあっ、と風が吹き抜ける。
わたしが降りたのを確かめて、おじいちゃんは歩き出す。わたしは後ろからついていく。
田んぼの脇にしゃがんで、用水路から流れてくる水を、しばらく見ていた。
ときどき板を動かしたり、長い棒でなにかを突いたりしている。
「これは、なにをしてるの?」
うん、とおじいちゃんはうなずいた。
「水が、枯れんようにな」
用水路の水は、きらきらと光っている。
あっちの田んぼにも、こっちの田んぼにも、流れていく。
再びおじいちゃんの軽トラに乗って、今度はがたごとと畑へ向かった。
昨日見たとうもろこし、きゅうりにトマトにナス、どの野菜も元気いっぱいだ。
なにも植わっていない一角で、おじいちゃんはまたしゃがみこんだ。
「なにがあるの?」
うん、とおじいちゃんは、またうなずいた。
「芽が出てきた」
「え? どれ?」
隣にしゃがんで見てみるけれど、葉っぱなんてひとつもない。
おじいちゃんの指さす先に、目を凝らす。
小さな小さな、緑の点がある。
これが芽なのか。もっと大きな葉っぱだと思ってた。
芽吹きの瞬間。おじいちゃん、よく見えるなあ。
「りっちゃーん。おにぎり持ってきたよ」
おばあちゃんの声が、遠くから聞こえた。

ほんの半日ぐらいだけど、おじいちゃんについて歩くのは、なかなか大変だった。
とにかく広い田んぼや畑を、ひとつずつていねいに見て回る。
水とか、土とか、草とか、虫とか、いろんなものをおじいちゃんは見ている。
夜になって、おばあちゃんがスイカを切ってくれた。
縁側に三人、並んで食べる。じりり、じりりと知らない虫の声がする。
おじいちゃんは、じっと空を見上げていた。
わたしも見上げてみた。星がたくさん出ていた。
「星がきれいだから、明日は晴れるんだよね」
って言ったら、おじいちゃんは少し首をかしげて、
「……その前に、一雨くるな」
とつぶやいた。
いまもこんなに晴れてるのに、天気予報だって晴れだったのに、おじいちゃんは変なことを言う。

あいかわらず晴れたままの、月が沈みかけたころ。
ふとんにもぐって、わたしは本の続きを開いた。

『物語とは、なんですか。』
少年は、精霊たちに尋ねる。
水の精霊は言う。
『物語とは、泉です。湧き出づる水に、流れをもたらしたのが、物語なのです。』
土の精霊は言う。
『物語とは、大地から生まれる。土を耕し、種を蒔き、芽吹いてゆくのが物語である。』
星の精霊は言う。
『物語とは、そこに在るもの。まだ見ぬものを目に映せば、物語となる。』
物語が生まれる場所で、少年は見た--

ぱら、ぱら、と水音がした。
雨の音だ。
屋根に当たる音が、ぱたぱたと慌ただしいリズムになっていく。
本当に、雨が降ってきた。おじいちゃんの言ったとおりに。
星空の雨。小さな小さな緑の芽。田んぼに流れる水。
流れをもたらしたもの。芽吹いてゆくもの。まだ見ぬもの。
おじいちゃんの目には、なにが映っているのだろう。
雨の音に包まれながら、わたしは静かに目を閉じた。

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