好きなことリスト、76番目。
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すぐにした方がいいですよ、と言われていた、最後の3つのうちの1つですね。
実家の母とは、現在は、月に2~5回ほど、電話でしゃべります。
用事があるときもあれば、特に何もないけど元気?とかけるときも、かかってくるときもあります。
昔と今との違い
小さな頃までは覚えていませんが、思春期手前あたりから、私側からすると、ほとんど母としゃべった思い出がありません。
当たり障りない普通の会話は多くしているのですが、自分の思いや考えたこと、感じたこと、価値観などは、まったく話さなかった。
叱られる、わかってもらえない、相談しても意味がない。
自分が子どもを生むまでは、そんなふうに思っていました。
内容の濃い会話や深い話は、もっぱら友達としていました。
それが変わってきたのは、自分が家庭を持ち、母になってからでしょうか。
それまでは気軽に連絡をとりあっていた友達も、お互いに子どもがいると、なかなかまとまって話す時間がとれない。
ちょっとした不安だったり、愚痴だったり、楽しい・嬉しいことだったり、どうでもいい話を気兼ねなくしたい。
そんなときにいちばん頼りにしたのは、母でした。
「どうでもいい会話」の積み重ね
結局、今でも母と深い話をしているわけではないんですが。
日々の嬉しかったこと、大変だったこと、子どもの様子など、お互いの近況を、とりとめもなく話します。
お互いに電話に出られなくても、また今度でいいか~、と折り返しを気にしなくていい。
途中で用事が入っても、子どもが騒いでも、気にしなくていい。
自分がしゃべりたくなったタイミングで、働きかけることができる。
友達相手にわざわざ電話してまで話すほどじゃないけど、誰かに聞いてほしいなっていうようなこと、ありますよね
それを、気軽に投げかけられるのが、私の場合は実家の母だったんです。
若い頃はわからなかった、いわゆる「どうでもいい会話」を積み重ねていけることが、実は楽しみであり幸せであり、信頼関係の土台ともなるのだということが、大人になってから身に染みます。
自分も話すことでストレス発散になるし、おまけに、親孝行にもなるんですよね。
「どうせわかってもらえない」なんて思わずに、もっと子どもの頃から会話を楽しめばよかったなあ。
それこそ、どうでもいい話から、深い話までしてみたらよかった。
今度は、自分の子どもたちと、そんなふうに会話を重ねていきたいな、と思っています。