長女が「学校に行きたくない」と言ってから、約1年半が経ちました。
生きづらさを抱えた娘は、しんどいながらも、欠席することはなく、少しずつ学校に顔を出し続け、先生やお友達に支えられています。
人間関係や、何か明確な出来事があってつらいのではなく、現代の日本の学校というシステムが、おそらく合わないタイプなのだろうと思います。
学校からも、地域からも、医療からも、支援を受けています。
どこからも否定されることがなく、生きづらさを理解されずに苦しむこともない、理想的なサポート環境の中にいる娘ですが。
それでも、学校に行くのがしんどいとき、私は「いったん登校して、挨拶だけしに行こう。それから休もう」と、娘に言い続けてきました。
本人が楽になるなら、学校に行かなくてもいいんじゃないか。
ほかの生き方を、探していけばいいんじゃないか。
何度も、考えました。
でも、そうしなかったのは、なぜなんだろう。
口では気にしないと言いつつも、周りの目を気にしていたのか。
ほかの生き方を知らないから、踏み切れないのか。
親のエゴなのか。
ずっと考えてきましたが、ようやく答えがわかりました。
娘にあげられるもの
私は、学校へ行かずに大人になる生き方を、具体的に知りません。
勉強も運動もできないし、特別な技能も持っていないし、生きていく上で必要になるであろうものを、何も娘に教えられません。
子どもより長生きして、一生助けてあげることも、できません。
ただ、ひとつだけ、娘にあげられるもの。
それは「信頼できる社会とのつながり」です。
困ったとき、つらいとき、たとえ親がいなくても、娘が「ここなら大丈夫」と、頼ることができるような。
これから成長していく娘が、折にふれて気にかけてくれる人たちの中で、安心して過ごせるような。
私は今、学校の先生も、病院の先生も、地域サポートの方々も、その信頼に足る存在だと思っています。
だから、学校にも病院にも、連れていく。
娘に贈れる、つながりのために。
自分の気持ちがはっきりとわかり、より安定して、子どもを支えていけるようになりました。
長女にはいつも、たくさんの気づきをもらっています。
ありがとう。