リアクションをアクションにする、言葉の魔法

私の書く感想文や紹介記事は、私の「リアクション」です。
思ったこと、感じたことを、素直に伝えています。

感想はリアクションだけれど、
贈る言葉になった瞬間、それは「アクション」に変わります。

たとえば、ただ「よかったです」と伝えた感想が、
相手の背中を押すことがあるように。

目次

  1. 言葉が、生まれる。
  2. 受けとる、まなざし。
  3. 自分の言葉で、そっと返す。
  4. リアクションが、力に変わる。
  5. 言葉は、めぐる。

言葉が、生まれる。

自分が発した、何気ない言葉が、
ふっと、誰かの背中を押すことがあります。

そんな出来事が起こるたびに、私は、
「言葉って、魔法みたいだな」と思うのです。

私は、特別なことを言ったわけじゃない。
ただ「嬉しかった」や「それ、いいね」を伝えただけ。

だけど、それが誰かの「よし、やってみよう」に変わる、
魔法のような言葉の贈りものが、確かにあります。

あなたが、ふと嬉しくなった誰かの言葉は、ありますか?
それは、どんな言葉だったでしょう?

受けとる、まなざし。

私は、たとえば本を読むとき、サービスを受けとるときに、
「これは正しいか」「自分に合っているか」を、最初に考えません。

それよりも、そのものが「いま、ここにある」という事実を、
まずは、まっすぐに受け取るようにしています。

読んでいて、わからない言葉もある。
実感を持ちにくいスピリチュアルなことや、抽象的なこともある。

でも、「わからないけれど、私なりに受け取ってみよう」と思うと、
その瞬間、今まで見えていなかった心の扉が、静かに開いていくのです。

誰かが、自分の命の時間を使って、書いた本。
誰かが、誰かのために、届けようとしているサービス。
それらが、ここにあるということ。

その存在そのものに、何よりも敬意を持ちたいと思います。

あなたが「わからないけど、受け取ってみた」もの。
なにか、思い出せるものはありますか?

自分の言葉で、そっと返す。

感想文や紹介文を書くとき、私が意識しているのは、
自分がどう感じたか、ということです。

たとえば、
「これはこういう内容の本です」
「こちらはこんなサービスです」
と紹介はするけれど、そのあとに書くのは、
私の中で、きらっと光ったところ。心に残ったひとこと。

「いいな」と思ったところだけに、静かに焦点を当てていきます。

批評でも分析でもなく、コンサル的な目線でもなく、
ただ「私は、ここがよかった」「これが好きだった」と言えること。

それだけで、思いがけず、言葉がまっすぐ届くことがあります。

そして不思議なことに、そうやって書いた「私の気持ち」が、
誰かの自己肯定感に触れることがある。
あなたの言葉で、自分を見つめ直せたと言ってもらえることもある。

そんなとき、思うのです。
「いいな」と感じたことを、自分の中に留めておくのではなく、
そのまま届けるだけで、それはもう、ひとつのアクションになるんだなって。

あなたは最近、自分の「いいな」を、誰かに伝えたことはありますか?

リアクションが、力に変わる。

あるとき、感想を届けた方から、
「自信が持てた」「自己肯定感が上がった」
と、言ってもらえたことがありました。

わたしはただ、自分が感じたことを、素直に返しただけ。
それなのに、その言葉が、そのひとの心の灯りになっていた。

言葉って、本当にすごいなと思うんです。

リアクションは、ただの反応ではなくて。
誰かの心を、ほんの少し前に進めるアクションになることがある。

そんな言葉を贈る感覚は、「伝えたい」よりも、
「届けたい」に近いような気がします。

そっと手渡された箱を開けたら、
やさしい魔法が、ふわりと広がるプレゼント。

あなたの言葉で、誰かが少し笑った、
そんな瞬間を覚えていますか?

言葉は、めぐる。

言葉って、いいものだな。と思います。

誰かの発したものが、私の中に入って、
そこで少し形を変えて、また誰かのもとへ届けられる。

そうやって、言葉はずっと、めぐっています。
静かに、確かに、誰かを照らしながら。

リアクションは、ただの返事や反応じゃない。
自分の中でいったん感じて、選んで返す。
それは、意志あるひとつの行動なんだと思います。

受けとって、贈る。
そのまなざしが、誰かの力になる。

私はこれからも、
「いいな」と思ったものに素直でいたいし、
それをそのまま、贈りもののように、返せる人でいたいです。

私の言葉が、誰かの「嬉しい」になるなら、
それはきっと、私が幸せに生きるための、魔法のひとつになるから。

あなたが次に届けたい言葉は、どんな言葉ですか?

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