表現するもの

私の好きな漫画「G戦場ヘヴンズドア」に、こんな台詞があります。

マンガをマンガ以外の目的で使うやつに用はない。

己に抗った者は、いつか破綻する。

これ、昔読んだときは、何となくしか理解できなかったんですよね。

最近、ブログを書き続けていて、少しだけわかってきました。

私とは違う私

かつての私は、作家志望であり、役者志望でもありました。

創り出し、表現することの喜びを知って、生業にしたいと夢見ていました。

その「喜び」とは、違う自分になれること。

物語の中や、舞台の上では、理想の私になれるんです。

地味で可愛くもなくて、いつでも教室の隅にいる、引っ込み思案な脇役の私じゃない。

明るくて可愛くて、誰からも好かれる、主人公の私でいられます。

けれどもそれは、多種多様なキャラクターを生み出したり、役柄に入り込んだりするのとは、今思えば決定的に違っていました。

どのキャラクターも、どの役柄も、あくまで私自身の延長線上にあったので、物語も舞台も、中途半端にしか成立していなかったのです。

私が書いたり演じたりしていたのは、私とは違う私になりたかったから。

――ああ、確かに。

小説を、小説以外の目的に。

演劇を、演劇以外の目的に、使っていました。

自分が嫌いだったから、自分を好きになるために、書いて演じていました。

私ではない私になるために。

本来の私に抗って。

そして、破綻したのです。

書き続けること

私は、短編小説はまだしも、長編小説で最後まで書き上げることができたものは、ごくわずかです。

作家を気取って、日記やブログを綴ってみても、長続きしませんでした。

それらはやっぱり、私ではない私になろうとしていたからだと思います。

今、このブログが1年を超えて続いていて、しかも楽しめているのは、あくまで「私自身」を描いているから。

本来の自分を受け入れて、好きになれたから。

純粋に書く喜び以外の目的を持たなくてもいいし、己に抗って書く必要もないから。

そんな気がしてならないのです。

呼吸するように、自然に、書き続けていきたい。

今の私の、目標です。

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