「1990年代のヒットソング特集」というテレビを観ました。
当時好きだったものも嫌いだったものも含めて、聴き覚えのある懐かしい歌ばかりで、10代の思い出が鮮やかに甦ります。
やっぱり、歌の力はすごいなあ。
聴きながら、「あれっ?」と思ったのですが…私、ストライクゾーンが広がっていました。
昔は好きになれなかった歌にも、特に嫌悪を感じなかったんです。
10代の頃の私は,音楽にしても小説にしても、シリアスで壮大なものが好きで。
アイドルとか、乱立していたライトノベルの一部だとか、逆にエンターテイメント性がなさすぎて面白みのない文学は、嫌いでした。
思い返せば、おこがましくも見下して馬鹿にしているような、口先だけの人間でしたね。
「私はこんなつまらない作品は書かない!」って(笑)。
今はもちろんそんなことはなくて、世界の多様性や、自身の好みと能力など、いろいろ認識した上で楽しませてもらっています。
アイドルに対しても否定的ではなくなり、一括りの業種としてではなく、個人を見られるようになりました。
小説の薄っぺらいのは、やっぱりちょっとつまらないけど…。
エッセイのおもしろさもわかったし、日常を切り取ったような物語も素敵だと思うし。
昔よりも、緩い枠組みで物事を受け入れて、楽しめるようになっているんですね。
歳を重ねて、受け入れる
許容範囲の広がりは、実はエンターテイメントに限らず。
わたなべぽんさんが、「もっと、やめてみた。」の中で言っていた、友達関係も同じなんです。
以前は友達とは、お互い認め合い信頼し合い秘密を共有し、
お互いのことをよく知って、色んなことを話し合える、そんな人のことだと思っていましたが。
でも今は、お互い詳しく知らなくても、同じ楽しみや同じ時間を共有できる、
楽しい人も友達だと思うようになりました。
大人になって、森博嗣さんの言う「嫌いなものを探さなくても、私は私である」という感覚を、持てるようになりました。
何かを否定しなくても、自分が確かなものになったから、許容範囲が広がった。
ふり返れば、あれもこれも受け入れられなかった頃は、実は自分に自信がなくて、自分を愛してあげられなかった時期でもあります。
否定の数が減ると、幸せの数が増える。
自分の枠に世界をはめなくても、異なるものと共に生きていけるようになったのです。
この許容力が、歳を重ねることであるのならば。
老化って、ものすごく楽しいのでは? とわくわくしている私です。