子どもたちに教えられることが、多いなあと思います。
「普通」って何だろう
――自分が若い頃は、両親からの「普通」に、激しく反発していました。
「普通の大学」「普通の結婚」「普通の就職」…って、何!? 私は私のやりたいように生きたい!
そう思い続けてきたはずなのに、いざ自分が子育てをしてみたら、子どもに「普通であること」を求めてしまう。
口では「個性は大事だよね」と言いながら、周囲の評価がプラスに働く個性なら受け入れられるのに、マイナスになると否定してしまい、何とか子どもを変えようとする。
子育てにおける「普通」は、「周りと一緒」と同義でした。
そんな私の抱えるいびつさを、身をもって教えてくれたのは、我が子たちなのです。
同調圧力と管理
朝は起きるもの。食事はきちんととるもの。学校には行くもの。宿題はするもの。
友達とは仲良くするもの。先生の言うことは聞くもの。
みんながしていることは、同じようにするもの。
私はそうして育てられてきたし、そうして学校生活を過ごしました。
でも、本当にそれだけが正しかったのか。
その生き方は、社会に出て、どれだけ役に立っているのか。
私が子育てで苦しくなるときというのは、「みんなと同じようにしなければならない」と、子どもを管理しようとしたときなのではないか。
それは、あまりにも曖昧な、他人基準の考え方でした。
子どもたちとともに
主体性がなかった私に、長女は「普通に学校へ行く」ことの意味を、考えさせてくれました。
いつもマイペースな長男は、「自分の速さで進む」ことの大切さを示してくれました。
同調圧力と管理から抜け出そうとしたらどうなるかを、次男が体験させてくれています。
ふり返れば、大小さまざまな出来事すべてにおいて。
そのときの私にとって大事なことを、いつも子どもたちが教えてくれていたのです。
子どもを育てているつもりで、ずっと親が助けられ、育てられていたのだと、改めて実感します。
この子たちが、私を親に選んでくれて、家族になれて、本当によかったと思います。
どれだけ言葉にしても、伝えきれないけれど。
いつも、ありがとう。