新聞で、不登校についての論説を読みました。
「安心できる環境が得られれば、子どもは自ら意欲をもって動き始める」
「居場所づくりが欠かせない」
「関係機関が連携して必要な支援体制を充実させる必要がある」
など、おおむね同感する内容だったのですが…。
最後の締めくくりに、いまひとつ納得がいかなかった私です。
そのためにも欠かせないのが「学校に行けなくても大丈夫」「学校に通うことが全てではない」と保護者や教員が温かいまなざしを持つことではないか。
子どもたち自身が肯定感を持てるよう見守る姿勢が「自ら意欲をもって」につながることを忘れてはならない。
そのとおり、ではあるのだけれど、どこか他人事のような印象を受けます。
親や教師がそこに至っても、同居家族やご近所さんの理解がなければ、根本的な社会環境は変わらなくて。
子どもを守るために、今度は親が追いつめられることになる…。
というのが、実体験としてあるので。
温かいまなざしを持つことは、当事者でない人たちにも、必要です。
その理想形が「不登校という概念のない世界」なのだろうな、と思いました。