子どもが体調不良のとき、自分が優しくないなあ、って思います。
【聖母のようにはなれないけれど】
――本当は、何をさておいても、わが子に駆けよって、
「大丈夫? つらかったね」と、手を握って寄り添える母でありたいのになあ、と。
ですが、不調が表れた瞬間から、脳が自動的に演算を始めるんですよね。
ここ数日の生活を、早送り映像のようにふり返り、体調不良の要素となるものを洗い出し。
同時に、目の前の状態を見ながら、必要な対応と物品をリストアップし。
翌日以降のスケジュールを、不調が続いた場合に備えて組み替え、連絡が必要な先も抽出。
脳が高速でフル回転しながら、体は動き続けています。
熱を測り、ふとんと着替えを広げ、ゴミ袋やタオルを出し、嘔吐下痢の処理をし、
病院や学校や職場など、本人と家族に必要な各所に連絡を入れ、
冷蔵庫の中身から食べられそうなメニューを考え、受診帰りの買い物リストを頭に叩き込む。
冷静に、やるべきことをやっているだけなのかもしれません。
心配していないわけではないけれど、必要以上に取り乱しても、どうにもならないし。
物理的に必要なケアを放り出して、ただそばに座っていることもできません。
でも、そうやって頭も体も慌ただしくしていると、
なんだか、つらい思いをしているわが子に、寄り添えていない気がしてしまう。
折々で、
「つらかったね」
「大丈夫? がんばったね」
などと、気遣う言葉は、忘れないようにしているけれども。
逆に、忘れないように意識していないと、目の前の対応だけに引っ張られてしまうことが、優しくないなあと思うのです。
「優しいお母さんになりたい」と思っているから、誰から責められたわけでもないのに、至らなさを感じるのかもしれません。
聖母のような、慈愛に満ちた微笑みを絶やさない女性にはなれないけれども、しかたがない。
これが今の私なのだから、できることをひとつずつ!
というわけで、子どもがプチ体調不良でしたが、あっさりと元気になり、母は胸をなでおろしたのでした。
#数々の算段の大半は不要になりました
#元気がなにより!