手段と目的

次男のクラスで、来年度の小学校入学に向けて、

「保育園の行き帰り、自分の荷物は自分で持ちましょう」

と先生からお話しがあったそうです。

長女も長男も、同じように言われてきました。

ランドセルを背負って学校まで歩けるように、年長さんから習慣づけていく方針なんです。

次男は素直に頑張って、荷物を持っています。

――が! うちは自転車通園なんです!

体の小さな息子は、カバンと手提げと水筒を抱えたまま、決して離さず、危なっかしい体勢で乗り降りします。

荷物はかごに入れたらどうかと、何度も声をかけるのですが、

「先生が、自分で持ちましょうって言ったから、持たなくちゃいけないんだよ!」

毎日、そう言い張るのです…。

今日は風がずいぶん強かったので、

「危ないから、やめて! 先生はね、元気に安全に学校に行けるように練習しようねって言ってるの。

危ないことをして荷物を持っても、だめなんだよ!」

と強く言い聞かせ、本人が納得していないまま、荷物をかごに入れました。

保育園に着いたとき、息子はぽろぽろと涙を流していました。

先生に事情を説明して、

「安全に、車や自転車から降りたら、自分で荷物を持つように」

改めてお話ししてもらい、帰りのお迎えには納得してくれていて、ありがたかったです。

「自分で荷物を持つ力と習慣をつける」というのは、安全に登校するための手段のひとつです。

けれど、次男にとっては、「自分で荷物を持つ」ことが目的になってしまっていた。

年長児に、手段と目的を、どんなふうに説明するとわかりやすいのか。

同じ話を聞いても、子どもによって捉え方が違うから、どうすれば正確に伝えられるのか。

思わず考え込んでしまった母ですが。

そういえば長女も、頑なに「こう言われたから」と、臨機応変な判断ができずに苦しんだ時期がありました。

今はかなり柔軟になっていますから、成長によって理解できるものなのでしょうか。

でも、私が大人になってから判断に悩むときというのは、たいてい手段と目的を混同しています。

あれこれと手段を考えているときに、家事や育児の目的を忘れて、判断軸がぶれていることにハッとするときがあります。

このあたりの思考法は、体の成長に任せればいいわけではなくて、やはりトレーニングが必要だなあ、と思いました。

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