自分のあたり前は、他人のあたり前とは違う。
を、幸せな方向に、実感したお話です。
【“あたり前”が、感動になる】
次男が、駄菓子のラーメンを食べていたんです。
「お母さん、これ、お湯入れて食べたらおいしいかも!」
と言うので、お湯を準備しました。
ただ…パッケージは、どう見ても、そのままパリポリと食べる用の、ラーメン菓子です。
「うわ、まずっ!」てならないか、一抹の不安はあったのですが、
息子が自分で考えて、やってみようと思ったことだもんね。
希望どおりに、お椀に麺を入れ、お湯を注いでみました。
ほどよく柔らかくなった麺を、ひと口すすった次男。
「…お母さん、味がない…」
そのまま食べる用だったので、麺についている味だけでは、おいしいお汁にはならなかったみたいでw
そこで母は、お椀を手にうなだれる、悲しそうな息子に、
鶏がらスープの素を溶かして、ごま油と醤油を垂らして、
「これ、食べてみ」と、渡してみました。
そうしたら、
「…うま! お母さん、これ店で出てくるラーメンみたい!!」
家にある調味料を、ちょっと入れただけの駄菓子ラーメンに、めちゃくちゃ感動してくれたのです!
そんなに喜んで、おいしいおいしいと食べてくれたら、母は本望!
で、思ったんです。
私は「これを入れたらこんな味になる」の感覚が、日常使いのものとしてあるから、
迷いなく、中華味を足したわけだけれど。
その感覚が、次男にはなかったから、あんなにも驚いて感動したんだろうな…。
“自分にはあたり前でも、他人には目から鱗”なこと、たくさんあるんだろうな。って。
だから、
自分のあたり前は、人のあたり前じゃない。
という、コミュニケーションの前提になるし、
自分のあたり前が、誰かの役に立てる。
という、お仕事のヒントにもなるし、
誰かのあたり前に、自分が助けられることがある。
という、優しさの循環にも繋がる。
幸せな、気づき実感エピソードが、またひとつ、増えました。
#次男とラーメンに感謝!