名前のないもの

私は集団が苦手で、いつも端っこにいます。

町内会や保護者会、子供会など、集団活動をするときは、割り振られた仕事を黙々と行い。

話しかけられたら、当たり障りのない返答を心がける。

過去をふり返ると、学生時代のクラスの中でも同じでした。

仲良しの友達3人ほどが集まっているときは、さほど気負わず話すことができますが、それ以上の人数になると、フラットな状態でいるのが難しく、ほとんど発言しません。

相手の性格や価値観、利害関係や対立関係などが読めない中で、とっさに反応できず、なかなか会話が成立しないのです。

なので、集団の中でどこか浮いている感覚を、常に持っています。

居心地の悪さというのか、身の置きどころのなさというのか…。

いたたまれない気分のまま過ごすぐらいなら、ひとりでいいなあ、と思ってしまうような空気感。

小学6年生の頃を思い出します。

もう二度と戻れない

私は当時も、クラスの端っこで、地味なポジションにいました。

同じような女の子2人と一緒に、本を読んだり絵を描いたりして、静かに過ごすことが多かったのですが。

自分が嫌いで変わりたかった私は、クラスの中心にいる女の子グループに「入れて!」と声をかけ、一時期そちらに交じってみたことがあるのです。

ありがたいことに、可愛くて人当たりのよい子たちばかりで、私を温かく迎え入れてくれました。

一緒に過ごすことで、自分もそんな女の子に近づけたような気になれたし、今まで敬遠していた男女混合の外遊びで、体を動かして遊ぶ楽しさも知りました。

きらきらして楽しかったけれど、自分のペースではなかったからか、やがて頑張り疲れてしまい、徐々に彼女たちと合わなくなってしまいます。

久しぶりに元の友達と過ごそうかな、と思って話しかけたら、冷たい反応が返ってきました。

今まで私がいた場所には、それまでクラスで仲間外れになっていた女の子がいて、新しいグループが出来上がっています。

一度離れた中心グループも、私がいなかったときの状態に戻って、成立しています。

そこで初めて、友達関係を「しくじった」ことに気がつきました。

いじめられているわけでは、ありません。

元々の友達からしたら、むしろ私の方が、勝手にグループを抜けた裏切り者だったのだろうし。

どちらのグループにも、話しかければ答えてもらえるので、無視されているわけでもありません。

けれど、仲良し同士で机を合わせて食べる給食の時間に、私の机を組み込んでくれる場所は、どこにもないんです。

もう、どこへも行けないし、戻れない。

「入れて」と言えばいいのでしょうが、口に出せない空気が漂っていて、孤立していることを肌で感じました。

みんなが楽しくしゃべりながら給食を食べる間、私だけひとりで、だけど教室から抜け出すことはできない。

本当にはひとりにすらなれないまま、宙ぶらりんに浮いている感じ。

大人になった今、なじめない集団の中で過ごす気分と、同じです。

同調圧力と生きづらさ

ちなみに、小学生の思い出には、もう少し続きがあって。

ある日の給食の時間、手を洗って教室に戻ってきたら、元のグループに、私の机が入っていたことがありました。

再び仲良くなりたくて、勇気を出して「入れてくれてありがとう」と声をかけたら、

「先生が勝手に入れただけだよ」

そう言われました。

一緒にいるのに会話に入れない時間は、拷問のようでしたね(笑)。

同調圧力の強い年頃だったし、私には客観的に周りを見る能力があまりなかったので、うまく過ごすことができませんでした。

大きくなるにつれて、世の中にはいろんな人がいることがわかってきて、居心地の悪さも薄れてきましたが。

今でもやっぱり、大人数の集まりは苦手です。

この「何となく浮いている」感じ、実は、長女がときどき口にすることがあります。

大人になれば、それでも生きていけるのだけれど、教室しか居場所がない時期には、やっぱり少し辛かったかな。

「いじめ」みたいに名前はない、でも息苦しいような空気感にも、処方箋があるといいのにな、と思っています。

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