先日、町内の行事があったのですが。
実は子どもの頃から、そういった行事ごとが、好きではありませんでした。
【自分から楽しむこと】
古い地域特有の、本来は自由参加であるはずのものまで、ほぼ強制参加という、義務感と圧力感と、
実際に参加したときの、身のおきどころのない疎外感が苦手でした。
まるで、学校の課外活動の班作りであぶれて、数合わせでなじみのないグループに放り込まれたときのような。
#基本ぼっち族
だから、10代20代までは、地域の関わりを、面倒なことだと考えていました。
今でも決して、得意ではないんです。
考え方もモチベーションも、何もかも違う人たちが強制的に集まって、みんなが楽しく滞りなく終わるわけがない!
実際に、結婚してからしばらくの間も、田舎独特のコミュニティに、かなり苦しみました。
ただ、自分が苦手だというだけで、一匹狼を貫く私ではありません。
この地域で、家族が心地よく暮らせるように、私なりに頑張って参加するのです。
#社会人です!
で、今の土地で10年超、そういった行事に参加してきて、少しずつ息がしやすくなってきました。
自分に近い感覚の人と知り合えるほど、一緒に物事を進めやすくなりますし。
「頼まれたことは真面目に取り組む、根性の可愛らしいお嫁さん」を貫いてきたかいがあって、
それなりの信用を、受け取らせていただける立場にもなってきたので。
心を許せる人たちに出会い、支えてくれる人たちに出会い、子どもたちがのびのびと育っていくにつれて、
若い頃には煩わしいだけだった繋がりが、今は、喜びもくれるようになっています。
それでようやく、
“町内行事を楽しめるかどうかは、当事者意識をどれだけ持っているかに左右される”
ということを、実感できるようになったんですね。
嫌々ながら、仕方なく参加する間は、どんなに頑張っても、せいぜい「お客さん」でしかいられません。
でも、町内行事はエンターテイメントではないので、ただのお客さんを楽しませる要素はないんです。
だから、昔は「ついていけないなあ、やりたい人だけで勝手にやってくれたらいいのに」と敬遠していた人たち、
地域集団の中で、あえて率先して何かを始める人たちのことも、理解できるようになったかな、って思います。
人との繋がりなくして暮らせない場所にいるなら、それを嘆くよりも、楽しんで過ごしたい。
この場所で生きることを覚悟したから、主体的に動くことができるのじゃないかな、と。
「やりたくない」「関わりたくない」と考えていた昔の私は、当事者ではなく傍観者で、
気持ちの上では「お客さん」どころか、「余所者」でしかなかったわけです。
今は、自分が動かなければならない立場になることも増えました。
どうせやらなければならないことなら、楽しみたいと思って、日々の関わりを繋いでいます。