病院の待合室での出来事である。
私が座った向かい側の椅子で、2歳ぐらいの女の子が、絵本を握りしめていた。
お母さんに「これ、見るのー」と差し出したところで、診察の順番が回ってくる。
「やだ、みるの! これもいっしょ!」
診察室に絵本を持ち込もうとする娘に、お母さんは、
「わかった、ここで『待っててね』しとこうね」
そう語りかけると、椅子に絵本をそっと立てかけて、診察室へと入っていった。
絵本の表紙のくまちゃんが、じっと私を見ている。
目が合う。
なんだか、抱っこをねだる子どものような顔をしている。
本棚ではなく、椅子にぽつんと座っているのは、絵本にとっては寂しいことなのかもしれない。
けれども、あの娘が「待っててね」と言っているのだ。
私が君に触れるわけにはいかない。
申し訳なく思いつつ、ふいと目をそらすのだが、くまちゃんは私を見つめ続ける。
いっそ席を移動しようかとも考えたけれど、意味もなく唐突に立ち上がってまた座ったら、私がまるで不審者のようだ。
あきらめよう。
くまちゃんの、つぶらな瞳に見つめられたまま、どうにも座りの悪い待ち時間を過ごした。
だから、診察室からあの娘が帰ってきたときは、本当に胸をなでおろした。
乾ききらない涙の跡を、ふくふくしたほっぺたにつけて、お母さんの膝にちょこんと座り、念願の絵本を読んでいた。
よかったね、娘ちゃん。
よかったね、くまちゃん。
こうして、私の心は平穏を取り戻したのであった。