意図的に作られた自分

誕生日だとか、クリスマスだとか。

イベントを盛大に祝うことに、憧れていました。

大きなケーキに、素敵な贈り物。部屋には華やかな飾りつけと、サプライズの演出。

恋人同士の記念日も、事細かに祝うのが愛情だと思っていました。

なので当然、若かった私は、相手にもそれを求めたわけですが…

これまた当然、誰もが同じように考えるわけではあり得ない。

恋人や家族や子どもたちが、一緒に盛り上がるとは限らないわけです。

それどころか、子育てに忙しくなると、私自身が夫婦の記念日すら忘れる始末。

しかも、盛大に祝うためには、苦手な料理や飾りつけを頑張らなければならないことが辛くなり。

私って、本当にイベント好きなんだろうか?

疑問が湧いてきて、改めて考えてみました。

イベントが好きなのか、イベント好きな自分が好きなのか

小さな頃は、確かに、イベントそのものに憧れていたはずです。

たくさんの人に囲まれて、にぎやかに祝う誕生日やクリスマスには、おとぎ話の世界のような特別感がありました。

「祝わなければ」「祝うべき」と考えるようになったのは、どうやら高校生になったあたりのようです。

高校生というのは、私にとって、ひとつの転換期でもありました。

中学までの私は、地味でブスで真面目で・いつもクラスの端にいて・友達もほとんどおらず・好きな人とまともに話すこともできない状態でした。

そんな自分が嫌いで、変わりたかったんですね。

高校入学を機に、少女漫画のイメージで、みんなに可愛がられる・少し天然の・女の子らしい自分を、作り上げました。

クラスの中心に立つことはありませんでしたが、それなりのグループの中で、今までの私とは違って、楽しむことができた。

そうして作り上げたキャラクターの一部が、「記念日やイベントを祝うのが大好き」という設定だったのです。

――今にして思えば、そこが始まりでした。

大人になり、母になってからは、子どもの誕生日などを華やかに祝う風景を、ネット上でよく見かけたので。

自身の本当の気持ちに気づかないまま、「こんなふうにしなければ」という思いが、そのままスライドしていきました。

でも、今ならわかる!

私は、手の込んだ料理を見映えよく盛りつけるのは面倒だし、おしゃれで華やかな飾りつけは苦手。

もちろん、子どもが希望したなら、出来る限りで挑戦しますが。

ひとり準備に四苦八苦して慌ただしく過ごすよりも、手抜きでもいいから一緒に楽しみたい。

これが、私の本音だったのです。

長年作り上げたキャラクターから解放されて、最近では、イベントは緩く楽しむ程度になりました。

またひとつ、生きやすくなったのかな。

思い込みって、本当に恐ろしいものです(笑)。

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