“共有”が好き

一足先に春休みに入った、高校生の娘。

バイトがお休みの日は、一緒にごはんを作っています。

【“共有”が好き】

私、ごはん作りが苦手で、好きではないんですよね。

#偏食っ子が全員食べるメニュー

#栄養と予算と手間ひまを考えて実行する

#タスクが多い!

だから、娘が台所に立つときは、丸投げする!

と、思っていました。

なのだけど、実際は、

一緒にメニューと予算を考えて、お買い物に行って、

一緒に台所に立って、娘が調理しやすいように、嬉々としてお手伝いしているのです。

#調理器具を洗ったり

#下ごしらえを分担したり

#疲れたら交代したり

娘の作業はていねいなので、私ひとりで手抜き&時短ごはんを作るより、時間がかかります。

でも、不思議!

体感が、

“苦手な作業に時間をかけているのに、苦痛ではない”

状態なんです。

もしかして、私は「ごはん作りが苦手でやりたくない」んじゃなくて、

「ひとりで作るのが嫌」なのかもしれない!

#もちろん一緒なら誰でもいいわけじゃない

#大姑さんと一緒に台所立つのは苦手だった

これって、娘との“共有”が楽しいんですね。

「家族でおいしいごはんを食べよう」って、おんなじところを見て、目的に向かって、手を動かす。

ひとりでやると“作業”になって苦痛なことが、

娘と一緒だと“共有”になるから、楽しくできる!

料理することそのものが好きなわけではなくて、

一緒にいて心地よい人と、一緒に何かをすることが、好き。

その視点で、思い返してみると。

“しなければならない”作業感が苦手な、黙々とデータを入力・修正していくお仕事をしていたときも、

仲良しの同期や先輩と、一緒に働いている間は、めちゃくちゃ楽しかった!

私が自覚している「これ苦手!」なものの中には、行動そのもの全部、ではなくて。

実は、ひとりでやるのが苦痛だった。という可能性がある!

誰とやるかで、“苦手”が“楽しい!”に、くるんと転換することがある。

その“楽しい”時間や気持ちを共有するのが、私は大好きなんだなあ。

娘のおかげで、自分の“好き”に、またひとつ気がつきました。

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