いま、ここにいる私に聴く

この1年ほど「自己理解」にハマっています。

【いま、ここにいる私に聴く】

自分を深堀りして、理解して、解放すること。

これが、楽しくて!

鎧を脱いでいくような、荷物を下ろしていくような、

自分が身軽に、自由になっていく感覚の1年でした。

今まで、いかにちゃんと向き合ってこなかったのか、思い知ると同時に。

見たくないこと、知りたくなかったことも、だんだん見えるようになってきました。

#焼け野原にはなってないので

#まだまだ序の口であろうかと

たとえば、私はずっと、

「子どもが大好きで、大切だ。だから子育てに関わるすべても好きだ」

と思っていました。

それは真実でもある。

でももちろん、神様のように、全部を愛せているわけではないんですよね。

赤ちゃんの相手は、ほぼまんべんなく好きだけど、個性が出てくると、自分と合わない子もいる、とか。

子どもの友達関係は大事にしたいけど、自宅で騒がしく遊ばれるのはしんどい、とか。

自分が子育てから得るものは、すごく大きくて大好きだけど、24時間365日はつらい、とか。

常に親ではあるけれど、常に親でいること、大人でいることは難しい、とか。

文字にしてみたら、そりゃそうだよね、と感じる程度の重さでしかない反面、

それじゃいけないんじゃないか、と戸惑う私もいます。

だって、

「母親ならこうあるべき」

そう言われてきたから。

そう思ってきたから。

そうなりたかったから。

そう、信じていないと、できなかったから。

自分の軸だと信じていたものが、実はそうでもなかったよね。

というのは、まあまあ痛いw

以前はそうだったけれど、今は変わったのかもしれないし、

環境に適応するために、昔からそう思い込んでいただけかもしれない。

どちらでも、いいと思います。

ひとまず「そうなんだな」って、認める。

受け入れるもよし、今はまだ受け入れられないもよし。

ただ、そんな私がいる、ということだけは、忘れないでおく。

「母親にならねば」を、ちょっぴり解いた私の場合は、

前より子どもとフラットな関係に近づけたかな、と感じられることが増え。

適度な距離感で過ごしつつ、わが子可愛さが爆発する、ハッピーな瞬間もあり。

自分の「好き」「嫌い」がはっきりしてきたことで、

子どもの感受性も、昔より尊重できるようになったかなあ?

こういう、小さい頃の自分を守っていた思い込みや、

人生を切り開くために纏った価値観が、たくさんあって。

正しいか間違っているかはなくて、

「今の私に、それ合ってるかな?」「今、必要なのかな?」

「手放したいのかな? 大事に持っていたいのかな?」

って、ひとつずつ聴いていく。

自分で自分にかけたメンタルブロックが、たくさんあるな、と気づいてしまったから、

つい焦って外したくなってしまうのだけれど。

先日、平野麻子さんに、

“私が豊かさを受け取るために、今は不要なメンタルブロックを、外すためのヒント”

をお尋ねしたカードからは、

“不信感、悲しみ、この辺りを掘り下げると良さそうです。

ブロックを外すことに躍起にならないで。

問題の本質はどこか、を突き進むことで、自動的に外れていきます。”

とお返事をいただきました。

ひとつずつ、焦らず、じっくりと。

低温調理みたいに、時間をかけて、進んでいきたいと思います。

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