言い得て妙

うちには、認知症初期の義家族がいます。

体は元気で、日常生活の支援はさほど必要なく、介護サービスも本人がなかなか受け入れたがりません。

ただ、今までできていたことができずにパニック状態になったり、ひとりでの外出が難しくなったりと、確実に症状は進んできました。

急に思い立ち、なおかつ「思い立ったらすぐ」のタイプなので、予定が立たない外出のフォローと、パニックになったときのサポートは必須です。

介護としては、まったく大変なレベルではないですし。

落ち着くために話を聞いたり、急に飛び込んでくる用事を引き受けたり、私がやっているサポートひとつひとつは些細なことなんです。

それなのに「またか!」とイライラしてしまうし、しんどさも拭えない。

自分がどんどん愚痴っぽくなりそうで嫌だなあ…と思っていました。

そんなとき、友達がかけてくれた言葉が、

「家にお年寄りがいると、何となく気の休まるときがないんだよね」

それです! まさに!

何かあったら対応しなくちゃと構えているから、直接向かい合っていないときでも、脳内メモリの一部は常にそれが占めています。

で、普通に自分たちの生活もあるわけです。

――あ、これって乳幼児期と同じだ。

モヤモヤが晴れた瞬間でした。

手が離れても目が離せない状態の、ちっとも心が休まらない、育児と一緒ですね。

それは、自覚なく気力体力を削られていても、何もしていないのに疲れても、イライラしても仕方がない!

むしろ当然だ!

自身の現状に、逆に納得がいきました。

目の前にあるのが変わらない現実なら、これからも続く介護へどう臨むかを、前向きに考えようと思います。

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