「長女に、我慢させているのかもしれないとも思います」
スクールカウンセラーの先生と話していて、自分の口から飛び出した、思わぬ言葉でした。
最近の娘の様子を尋ねられ、
「落ち着いていて穏やかに過ごしていて…私も困るようなこともなくて」
と話しながら、ふと思ったのです。
一時期ほど、「学校に行きたくない」「これは嫌だ」と言わなくなった長女。
「あれが欲しい、これが欲しい」と、主張することもあまりない。
手を焼くことは格段に減っているけれど、年齢的にも、親にすべてを打ち明けるような感じでもない。
諦めて我慢しているのか、納得して折り合いをつけているのか、どちらなんだろう?
私は私、娘は娘
たとえば私は、自分が掃除しやすくするために、家に飾り物をあまり置いていません。
子どもたちにも、自分の物は自分の棚に入るだけにしてもらっています。
でも、確か娘は、小さくて可愛い小物類が、大好きだったはず。
それなのに、いつしか、「欲しいけど…やっぱりいいや」と言うことが増えました。
「管理できないし、すぐに飽きるし」
長女本人は、そう言います。
本当に心からそう思っているのか、私に合わせてくれているのかは、わかりません。
「もし合わせてくれているのだとしても、それだけお母さんのことが好きで、大切なんですね」
スクールカウンセラーの先生の言葉に、救われる思いでした。
私は、物を減らしたり、「ありがとう」「なんとかなる」と唱えたり、あれこれやりながら、心地よい生き方を模索していますが。
自分なりに幼少期から10代20代と経験して、悩んだり苦しんだりした部分を変えていったら、今に行き着いた形です。
真面目に考えすぎてしんどかった、たくさん物を持ちすぎて管理できなかった、周りを優先しすぎて苦しかった…。
けれど、じゃあその経験がなかったら?
私は私ではなかったし、深く物事を考える感動も、人の笑顔を見る喜びも、たくさんの可愛いものに囲まれる楽しさも、知らなかったでしょう。
両方やってみて初めて、選ぶことができたわけです。
私は、そういう自由さを、娘から奪ってはいないだろうか。
少し心配になったので、
「お母さんはこう考えているけど、あなたはあなたの希望があるだろうから、言ってもらえばいいんだよ」
と、改めて伝え直しておきました。
「はいはーい」
お母さん、また何を心配してるの? というような笑い声が返ってきて、ほっとする私です。
――思春期を迎える長女は、以前より親に何でも話すことは減りました。
だからこそ、何らかの言葉や表情や行動で、親に送ってくれるサインは逃したくないと思っています。