「気の持ちよう」

いろいろな本を読んで、心についてのあれこれを知ってきました。

私が生きている世界は、私が私の心を通して認識しているもの。

乱暴なまとめ方をすれば、自分に関するたいていのことは「気の持ちよう」なのだろうな、と感じています。

悩みごとや気持ちの浮き沈みは、確かに何とかできることが多い。

でも!

「生理的に嫌でたまらないもの」と対峙するときの衝撃や苦しみは、気の持ちようでどうにかなるものなんだろうか…。

カメムシと格闘しながら、しみじみと考えました。

本当に嫌なんです。名前を口にするのも、視界に入るのも、とにかく嫌。

我が家ではカメムシをK、クモをS、ゴキブリをGと呼んでいるぐらい、口に出したくありません(笑)。

悪寒と恐怖に耐えながら、それでもそばにいてほしくないので、勇気と気力をふり絞って、追い出したり退治したりするわけです。

この精神的なダメージを、気の持ちようで何とかできるのだろうか。

いっそ怖くなくなる催眠術でもかけてもらえばいいんだろうか。

どう気を持てば、平気になるのか。

ただ、昔だったら落ち込むだけで鬱々と過ごしていたところが、立ち直るしなやかさは身についてきたかな。

「あの大量発生があったから、以後の数匹レベルには対応できるようになったんだ。だんだん増えるより、減っていくほうがマシだ」

「これはコイケさんの言うタイムラグだな。よっしゃ、これで願いが叶ったぞ…」

「大丈夫、死ぬわけじゃない。なんとかなる、なんとかなる。何とかなることしか起こらない」

Kと対峙する瞬間のダメージは変わらなくても、回復力が上がっているということでしょうか。

でも「気の持ちよう」って、そういうものかもしれません。

たとえば、今この瞬間の体調不良を、気の持ちようで治せるわけではないけれども。

後々ふり返って「あのとき体調不良でよかった」と思える生き方はできると思う。

そんな感じで。

終わりよければすべてよし。

今が幸せなら、過去にどんな不幸があってもひっくり返せる。

「気の持ちよう」の目的地は、たぶんきっと、そこにあります。

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