世界のすべてに「ありがとう」と叫びたくなるようなことがあったので、書きます!
【自分の中にあるから、感じることができる】
ささぶち ひろみ さんは、秘密の宝箱のような素敵な世界観を、写真と文章で描かれている方で、いつも楽しみに拝見しています。
先日、お話ししていた中で、ぱっと見た写真の印象を「綺麗で、凛としている」「私も凛とした花のようになりたい」と私が答えました。
それに対していただいた、
「見てそのように思う感性をお持ちなら、きっとそういうものを持っている」
「もし、まるで持っていない要素なら、見てもそのようには思わない」
その言葉が、宝物のように嬉しかったんです。
今の私は“憧れていた理想の自分になれなかったけれども、今の自分も悪くないし大切にしよう”という位置にいたので、
私の中にひとかけらでも“少女の私がなりたかった私”があるのなら、
それを見つけてくださる人がいるのなら、こんなに幸せなことはないな、って。
それから改めて、書いたり話したり、いつもと変わらない毎日を過ごしていて、ふと気がつきました。
どんな物事であれ、自分の中にないものは、感じることができないんだな…と。
何かを見て綺麗だなとか、いま幸せだなとか感じられるのも、
綺麗なものや幸せなことを知っていて、その気持ちを選びたいなと思えるから、感じることができる。
その感性がどこから来たのかと考えたら、きっと育ててくれた家族だろうし、いつもそばにいてくれた本なのだろうし、
たくさんの出会いと別れなのだろうし、人生に起こったすべての物事なのだろうし。
今この瞬間に感じていることは全部、過去の自分の“必然”なんだな、と理解したんです。
ご本人の言葉をお借りするなら、まさに“心でわかる”感覚です。
私は自分の姿かたちや、不安定だった心は、なかなか好きにはなれなかったけれど。
空を見て綺麗だな、子どもを見て可愛いな、素敵なものを素敵だな、と思える自分の感覚は、好きです。
“自分の中にない感覚は、感じることができない”のなら、過去の積み重ねが今の感覚に繋がっているのだから、
私を育んでくれたものすべてに感謝したくなる。
世界に「ありがとうー!」っていう気持ちになりました。
これがきっと、今の自分を大切に愛するということで、嫌いだった昔の自分も受け入れられるということで。
そうして、自分にも他人にも、優しくなれるのかもしれません。
【私が出会った“ささぶちひろみ”さん】
最後に僭越ながら、語りたいので語ります!
初めにも書きましたが、ささぶちひろみさんの描く世界は、私にとって「少女の秘密の宝箱」です。
写真や文章に触れたときの、そうっと蓋を開けるひそやかな息づかいを感じる雰囲気が好きで。
まるで、レースに繊細な刺繍を施す職人のようだと思うのです。
ふわりと柔らかな布の下には、細い細い針が隠れていて、どきりとさせられます。
その針でなければ掬い上げられない感性があり、その針でないと縫いとれない模様がある。
拝見した作品の数々から、心を震わせる一節、一枚に出会ったときは、
大切に持っていた小箱を開けたら、唯一無二のオートクチュールが表れたみたいな感動です!
素敵な出会いをありがとうございます。
その世界観に浸るのを、楽しみにさせていただいております。