私は、みんなの輪に入っていくことも、人と話すことも、言葉の裏の気持ちを察することも、得意ではありませんでした。
だから、コミュニケーション下手だと、ずっと思っていたのですが…。
もしかしたら、そこまで苦手意識を持たなくてもよかったのかな? と感じた出来事がありました。
【“コミュニケーション”を考えてみる】
高齢になった旦那さんのおばあさんと、普段関わっているのは私です。
いつもは私が運転手兼助手で出かけるところを、たまには…と旦那さんに同行してもらったんですね。
すると、車を離れた場所に停めようとするので、慌てて「長距離を歩くのは難しいから、駐車場は近くにしてね」と頼みました。
それから、
「私が荷物を運ぶから、おばあさんとゆっくり歩いてきてね」
と伝え、ふり返ったら、旦那さんはおばあさんの前をてくてく歩いていて。
いや、段差があって転んだら危ないから、後方についてほしいし!
認知症もあるので、顔がまったく見えないと不安になるから、視界に入る斜め後ろぐらいで、会話しながら歩いてほしいし!
と突っ込みたいのをぐっとこらえましたw
そうして、認知症と加齢の影響もあっての、愚痴めいた無限ループの語りを、いつもうなずいて聞くのですが…
旦那さん、話を切り上げようとするのが早すぎる!
安心感が得られなくて逆効果になるから、もう少しゆっくり聞いてあげてほしい!
見ていてハラハラしてしまいました…。
で、思ったんですけれども。
家族内での共通理解や、昔のわだかまりなどはあるにしても。
それを差し引いても、現状のおばあさんとは、私のほうがコミュニケーションをとれているんじゃないか、と。
考えてみたら、旦那さんは人の輪に入っていくことや、人前で話をすることには長けていて。
私はそういう“自分から多数に働きかける”コミュニケーションは下手でしたが、
“一人に長く寄り添う”コミュニケーションは、必ずしも苦手じゃないんだな、ってわかりました。
気持ちを察すること自体はできなくても、関わる回数と経験が増えれば、予想の精度が上がるから、対応できなくはないし。
ということは、結婚とか子育てとか、長く続く人間関係なら、わりといけるのかもしれない!
私の子ども時代は「はきはき話せる積極的なコミュニケーションが得意な子」が良しとされてきたので、
苦手意識を後生大事に抱えたまま、大人になったけれど。
これだけ“個性”や“多様性”と言われる世の中になって、社会もどんどん変わっているのに、
自分が抱えている苦手意識だけは子どもの頃のままだなんて、なんだかおかしくて笑ってしまいました。
旧人類かなw
そんなわけで!
やっぱりこれからは「苦手だからこそ、やってみる」で、自分も進化したいと思います!