SNSで見つけた「びーんずネット」さんから出ている本です。
「不登校という概念をこの世からなくしたい」という思いで書かれたのだそう。
なんて素晴らしいんだろう!
これまでいろんな本を読んできたけれど、「不登校をどう受け止めて、今の社会で生きるか」をさらに超えてきました。
まさに“コペルニクス的転回”!
不登校は、子どもがただ学校に行っていないだけのことなので、理解を示し、その状態を認めてあげればたいした問題にはなりません。
本当に…社会全体がそれを認めてくれたら、子どもだけでなく、親も苦しまずにすみます。
以前読んだ認知症の本にも、同じような言葉がありました。
「認知症という言葉が必要なくなる世界」「不登校という概念がない世界」
実現したら、それこそ多様な社会になりますね。
本書では、不登校の実態や問題点と対処法を述べながら、そもそも不登校とは何かということを。
義務教育の「義務」とは何かを、教育に関する法律とともに。
丁寧にわかりやすく解説した上で、公教育以外の選択肢や、子育ての考え方が綴られています。
著者のお子さんが選んだサドベリー教育は、本当に子どもを信頼する教育なのだと感じました。
蓑田さんの言葉を借りると、「子どもを独立した一個の人間として認め、子どもの人生を子どもに完全に委ねる覚悟を持つこと」です。
親の権限の範囲を考えるとき、問題になるのは「責任の所在」なので、犯罪や事故、失敗すると取り返しのつかなくなるような件に関しては口を出します。
でも、勉強するかしないか、ゲームをするかしないか、本を読むか読まないか…子どもが自分で責任が取れる範囲のことは、子どもに選択を任せればいい。
それは自らに「責任」が伴う大人としての「自由」なのです。
例に挙がっていた“子どもをどっぷりと「退屈の海」に浸ける”という話。
サドベリースクールに入って自由を得た子たちは、はじめは嬉しくてゲームをしたり、遊んだりするのですが、やがて退屈するようになり、自分と向き合うようになるそうです。
そして、自分のやりたいことを見つけ、人生の第一歩を踏みだすというのです。
この説明に「なるほど、すばらしい!」と頷く一方で、どこかに「我が子は果たしてそうなるのか?」と疑っている自分がいました。
この気持ち、すごくよくわかります。
でも、そこから蓑田さんが行き着いたところがすごいんです。
「勉強しなくて大丈夫?」なんて、いくら考えてもわかりっこない。逆に、「勉強すれば大丈夫?」も然り。
サドベリーに通おうが、普通の学校に通おうが、大丈夫か否かなんて誰にもわからないのです。
「サドベリーに通えば子どもがすばらしい人間に育つのでは」と期待するのと、「有名私立校に通えればいい大学に入れる」と考えるのは、似たりよったりの思考回路かもしれない――。
この考えには、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けました。
購入時に「不登校に心が迷うとき読みたい10冊」という冊子が、おまけについていたのですが。
その紹介文の中にも、こんな言葉がありました。
「型にはまらず、自由に、自分らしく生きてほしい」
これは特に僕のような「子どもに理解があるふうの親」が子どもに言いがちな言葉です。
ですが、ここにも実は、知らず知らずのうちに“自由に自分らしく生きろ”という「生き方の指示」があります。
それよりも、「そのままがいい。そのままで大好きだ」。
こちらがより「子どもを信じることば」なのです。
「言いがちなことば」から「信じることば」へ。
『子どもが幸せになることば』田中茂樹
子どもを信じるとは、どういうことなのか。
改めて、考えさせられます。
このおまけ冊子だけでも、気づきがたくさんあって。
アイスクリーム療法は、“親のための認知行動療法”
『子どもを信じること』田中茂樹
疑問符を自分に向けてみる
「なんで学校に行けないんだろう、この子は?」から「なんで行ってほしいと思うんだろう、わたしは?」
「なんでお母さんの言うことが聞けないの?」から「なんでわたしの言うことを聞かせたいんだろう?」
『不登校になって伸びた7つの能力』吉田晃子・星山海琳
私は「私の選択を信じて待ってほしかった」と今は思います。
『学校に行きたくない君へ』全国不登校新聞社
本書の「おはなしワクチン」はもちろん、この紹介文だけでも読む価値があったなあと思える1冊でした。