素敵な言葉に耳をすませる

クラスの男子に悪口を言われるから、しばらく教室に行きたくない。

長女が、そう言いました。

お母さんは、教室でも保健室でも、どこで過ごしてもいいと思うけど。先生は、その理由は知ってるの?

と聞いたら、担任や養護の先生や、相談員さんにも伝えてある、と言います。

クラスの仲良しのお友達は? と訊ねると、それも「知ってる」と。

私は実際に見たわけではないし、娘とは感受性も違うから、からかいなのか悪口なのかイジメなのか、わかりません。

その場に立たないとわからない空気感も、あるでしょう。

ただ、娘が孤立しているわけではないことだけは、わかります。

「嫌なことを言われたら悲しいし、気にするなって言っても、なかなか難しいけど。

仲良しのお友達や先生は、悪口よりも、もっとたくさんの素敵な言葉を、あなたにかけてくれてるはずだから。

嫌な言葉だけじゃなくて、素敵な言葉をたくさん聴いて、それで心をいっぱいにしてくれたら、お母さんは嬉しい」

それだけ、娘に伝えました。

情報の取捨選択

インターネットやテレビなど、メディアについては、よく言われていることですが。

日常生活においても、必要なことだと思います。

私は昔、綺麗事だけではなく、嫌な面・悪い面もすべて知らないと、自分の言葉に深みは出ない、と思っていて。

苦手なもの・怖いもの・嫌なものにも触れるため、テレビや本やインターネットを使った時期がありました。

でも、すごく疲れたし、しんどかったです。

一歩間違えば、生きるのが嫌になってしまうほど。

長女の出産後には、何気なく点いていたテレビから、若い母親と幼い子どもが殺害されたニュースが流れて、1年ぐらい、不安でたまらなかったです。

私は我が子を守れるだろうかと、ずっと怯えていました。

今はSNSも普及して、私が使っているのはLINEぐらいですが、以前より勝手に、情報が目に入ってくるようにもなりました。

スマホも持ち歩いていますし、その気になれば、いつでもどこでも、情報を受け取ることができます。

耳をそばだてれば、噂話やよその家庭の事情など、あちらこちらから聞こえてきます。

けれど、すべてを知っておく必要はないのです。

私が幸せに生きていくために必要な情報なんて、ほんの少ししかありません。

嫌なことや怖いことは、耳に入れなくてもいい。目に入れなくてもいい。

心に入れなくても、いい。

それは、情報だけではなく、言葉も一緒です。

自分が嬉しい言葉だけで、心を満たす

綺麗事だけの、おめでたい人みたいですが(笑)。

自分が心地よく生きられるなら、それでいいんじゃないかな、と思っています。

必要な物事は見つめなければならないけれど、自分がしんどくなるような言葉や情報は、持っていなくてもいい。

私は今、そうしてご機嫌に暮らしています。

娘の世界が、どうぞ素敵な言葉で満ちあふれていきますように。

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