数秘術鑑定からのご縁で、“才能プロファイリング”を受けてみることになりました!
それに向けて、事前ヒアリングシートのようなものを記入しているところなのですが…
書き始めたそばから、自分の思考の癖を突きつけられているようで、思わず笑ってしまいました。
幼少期から成人までをふり返ってみたら、幸せだったこと辛かったことは、もちろん両方ありました。
それ以外で印象に残っている出来事が、9割方「こんなことがあって怒られて悲しかった」だったんです。
いや私、どれだけ不幸を見つめて生きてきたんだよ、と。
もっと楽しい思い出も、たくさんあっただろうに!
怒られることに対する気持ちが、怨念のように根深いな…と(笑)。
大人になってから客観的に見れば、気にするほどではないことも多いけれど。
当時の主観でのしんどさは、印画紙に焼きつくように、くっきりと残っているんですね。
どうせなら、わが子には「楽しい」「嬉しい」「幸せ」な記憶を、たくさんプリントしたいなと思いました。
また、生まれたときからの過去をたどって、自覚したことがあります。
私は今、育児や介護といった、絶対に必要なことをしていて。
特に子育てについては、自分のしたいことをしている、と思っている。
それでもなお、社会に必要とされている、社会とかみ合っている実感がなくて、不安なのです。
私は、「顔を見たら安心する」「そこにいてくれるだけで大丈夫な気がする」という、生きているだけで生きられるような存在になりたい。
その圧倒的安心感は、たとえば「お母さん」や「うたのおにいさんおねえさん」が持っているもので。
彼らは、子どもたちから無条件に愛を向けられ、求められる存在の象徴です。
だから、私はきっと、
「ありのままで、愛される自分になりたかった」。
小説家になって本を出したかったのも、漫画の主人公みたいに生きたかったのも、クラスの中心にいるきらきらした人たちに憧れたのも、すべてはそこ。
生きているだけで、愛されたい。
小さな私が、膝を抱えて訴えているようでした。
思わず蓋をしたくなるほど自分本位な声で、あまりにも純度が高くて直視できない思い。
小さな私を救うために、目の前のわが子たちのありのままを愛したいと、願っているのかもしれません。
果たして、どんな自分が見えてくるのか。
ここからさらに質問を経ての、才能プロファイリングが楽しみです!