進行役であるGM(ゲームマスター)のもと、会話で物語を創り出してゆく、TRPG。
一般的には、それぞれがキャラクターを演じて遊ぶゲームなのですが、
GM中崎雄心さん・平野麻子さんが、提供してくださるのは、
“自分自身”としてプレイするTRPGです。
【TRPGで見えてきた「私」】
3シナリオ、4プレイしてみました。
めっちゃ楽しいです!
“プレイヤー=自分自身”で体験する良さが、3つあって。
①演じなくてもよいため、初心者にもプレイしやすい。
②数秘術・ストレングスファインダー・ヒューマンデザイン等をもとにして、
プレイヤーの能力値を設定しているため、自然な自分自身が再現される。
③終わったあとの感想戦で、フィードバッグをもらうことで、自己理解が深まる。
のです。
実際にプレイしていくうちに、自分の特徴が、少しずつわかってきました。
まず、大前提として、怖いのが嫌。
わからない、は決して嫌ではないのだけれど。
目の前でホラー=悪いことが起こるかもしれない、と思うと、
ビビり精神が多大に発動して、まったく行動に結びつきません。
「嫌なもの・怖いものを回避する」が、最優先の動機になります。
#ゲームが進まないやつ
wただし「○○をしてきてね」のような、おつかい的なミッションがある場合は、
怖いけれど、仕方なし…といった感じで、動けるようになる。
私がいちばん動くのは、たぶん、
「何が何でも帰らなきゃ」な状況(家族が待っている、一世一代のデートに行くところだったなど)か、
「絶対に○○を助けなきゃ」な状況(か弱そうな子どもや老人がいるなど)なんですね。
“応えなければならない誰か”の顔が見えると、ものすごく頑張れるみたいです。
そして、争うのが嫌いです。
#これもなるべく回避したい
なので、私が苦手とするタイプの、善意を押しつけてくるとか、やたら嫌味だとか、基本が喧嘩腰だとか、
そんな設定のプレイヤーやキャラクターがいたら、自分の中で、すごい葛藤が生まれると思うんです。
#今までのプレイは全員めっちゃいい人たちだった
でも、それを外に出せるかどうかは、また別で。
命には代えられないからと、ひたすら耐える方向に行くかもしれません。
私が人と真っ向から対立したり、嫌悪感や拒絶感を解放したりするには、相当のエネルギーが必要なんだなあ。
それこそ最初の「絶対に○○を助けなきゃ」ぐらいの。
さらに、回避して回避して、どうにもならなくなったときに、
「動かないと、物語が進まない」と覚悟を決めて、唐突に動き出す瞬間があります。
ようやく、この状況に、主人公として向き合うしかなくなった…というのが、
これまでの私の人生においても、決断のパターンでした。
#見事に個性が出る!
今までプレイさせてもらった、TRPGのシチュエーションはすべて、
ホラー寄りの“非日常”でした。
平和な日常なら無意識に流してしまう、自分の思考や行動のパターンが、
非日常の、命の危機! なシチュエーションだからこそ、際立ってくる。
際立つから、だんだん自分でも理解できるようになるんですね。
#遊びながら自己理解
私はまだ初心者だけれど、複数人プレイをやり込んでいくと、
「チームの中で、自分がどう動くと活きるのか」
も、もっと体感できるんじゃないかな、と思っています。