私の書く感想文や紹介記事は、私の「リアクション」です。
思ったこと、感じたことを、素直に伝えています。
感想はリアクションだけれど、
贈る言葉になった瞬間、それは「アクション」に変わります。
たとえば、ただ「よかったです」と伝えた感想が、
相手の背中を押すことがあるように。
目次
- 言葉が、生まれる。
- 受けとる、まなざし。
- 自分の言葉で、そっと返す。
- リアクションが、力に変わる。
- 言葉は、めぐる。
言葉が、生まれる。
自分が発した、何気ない言葉が、
ふっと、誰かの背中を押すことがあります。
そんな出来事が起こるたびに、私は、
「言葉って、魔法みたいだな」と思うのです。
私は、特別なことを言ったわけじゃない。
ただ「嬉しかった」や「それ、いいね」を伝えただけ。
だけど、それが誰かの「よし、やってみよう」に変わる、
魔法のような言葉の贈りものが、確かにあります。
あなたが、ふと嬉しくなった誰かの言葉は、ありますか?
それは、どんな言葉だったでしょう?
受けとる、まなざし。
私は、たとえば本を読むとき、サービスを受けとるときに、
「これは正しいか」「自分に合っているか」を、最初に考えません。
それよりも、そのものが「いま、ここにある」という事実を、
まずは、まっすぐに受け取るようにしています。
読んでいて、わからない言葉もある。
実感を持ちにくいスピリチュアルなことや、抽象的なこともある。
でも、「わからないけれど、私なりに受け取ってみよう」と思うと、
その瞬間、今まで見えていなかった心の扉が、静かに開いていくのです。
誰かが、自分の命の時間を使って、書いた本。
誰かが、誰かのために、届けようとしているサービス。
それらが、ここにあるということ。
その存在そのものに、何よりも敬意を持ちたいと思います。
あなたが「わからないけど、受け取ってみた」もの。
なにか、思い出せるものはありますか?
自分の言葉で、そっと返す。
感想文や紹介文を書くとき、私が意識しているのは、
自分がどう感じたか、ということです。
たとえば、
「これはこういう内容の本です」
「こちらはこんなサービスです」
と紹介はするけれど、そのあとに書くのは、
私の中で、きらっと光ったところ。心に残ったひとこと。
「いいな」と思ったところだけに、静かに焦点を当てていきます。
批評でも分析でもなく、コンサル的な目線でもなく、
ただ「私は、ここがよかった」「これが好きだった」と言えること。
それだけで、思いがけず、言葉がまっすぐ届くことがあります。
そして不思議なことに、そうやって書いた「私の気持ち」が、
誰かの自己肯定感に触れることがある。
あなたの言葉で、自分を見つめ直せたと言ってもらえることもある。
そんなとき、思うのです。
「いいな」と感じたことを、自分の中に留めておくのではなく、
そのまま届けるだけで、それはもう、ひとつのアクションになるんだなって。
あなたは最近、自分の「いいな」を、誰かに伝えたことはありますか?
リアクションが、力に変わる。
あるとき、感想を届けた方から、
「自信が持てた」「自己肯定感が上がった」
と、言ってもらえたことがありました。
わたしはただ、自分が感じたことを、素直に返しただけ。
それなのに、その言葉が、そのひとの心の灯りになっていた。
言葉って、本当にすごいなと思うんです。
リアクションは、ただの反応ではなくて。
誰かの心を、ほんの少し前に進めるアクションになることがある。
そんな言葉を贈る感覚は、「伝えたい」よりも、
「届けたい」に近いような気がします。
そっと手渡された箱を開けたら、
やさしい魔法が、ふわりと広がるプレゼント。
あなたの言葉で、誰かが少し笑った、
そんな瞬間を覚えていますか?
言葉は、めぐる。
言葉って、いいものだな。と思います。
誰かの発したものが、私の中に入って、
そこで少し形を変えて、また誰かのもとへ届けられる。
そうやって、言葉はずっと、めぐっています。
静かに、確かに、誰かを照らしながら。
リアクションは、ただの返事や反応じゃない。
自分の中でいったん感じて、選んで返す。
それは、意志あるひとつの行動なんだと思います。
受けとって、贈る。
そのまなざしが、誰かの力になる。
私はこれからも、
「いいな」と思ったものに素直でいたいし、
それをそのまま、贈りもののように、返せる人でいたいです。
私の言葉が、誰かの「嬉しい」になるなら、
それはきっと、私が幸せに生きるための、魔法のひとつになるから。
あなたが次に届けたい言葉は、どんな言葉ですか?
