考え事をするとき、
言語で考えるか、絵やイメージで考えるか。
あなたはどっちですか?
言語で考える、言語思考者(ランゲージ・シンカー)と、
絵で考える、視覚思考者(ビジュアル・シンカー)の話を聞いて。
「私はたぶん、言語だな」って思ったんですよ。
ビジュアルを、ビジュアルのまま理解できないから。
言葉にすることで、思考できる感覚です。
考え事をするとき、私の頭の中には、1枚の画像があります。
それは風景だったり、人の表情だったり、
抽象画のような色彩だったり、文様だったりします。
絵本の挿絵のような、その画像に、言葉を添えていく。
というのが、私の“考え事”。
で、ですね。
同じく言語思考者であろう娘に、聞いてみたんです。
「考え事をするとき、言葉で考える? 絵とかイメージで考える?」
すると娘は、こう言うのです。
「言葉だねえ。字幕が流れていく感じ」
――なんですと!?
字幕とは!? どういうこと?
私にはない概念が気になりすぎて、根掘り葉掘り尋ねてみたところ。
文字が文字として、頭の中に流れているのだそうです。
カタカタと、パソコンに打たれた文字が、横に流れていくように。
本でいうと、真っ白なページに、文字が端から次々と浮かび上がる感覚で、
考えながら、不要なものは弾いて、文字が流れ続けるのだ、と。
私の頭にあるような、挿絵はない、と。
「え、じゃあ、小説読むときも、文字を文字として追って、理解してるの?」
同じ本好きとして、ビジュアルを頭に浮かべながら読んでいるとばかり思っていました。
そうしたら、娘が言うには。
「小説は、情景を想像しながら読むよ。
だって、人の書いた文章だから。
でも考え事は、自分の考えていることでしょ。
自分の考えは自分でわかってるから、ビジュアルはいらないんだよね。
文字だけで完結する」
――完全に、未知の感覚です。
娘からしてみれば、絵本の挿絵のように思考する母が、未知の生命体です。
「えぇ!? そうなの!?」
「いや、ない! その感覚はわからんわ!」
お互いの思考世界にびっくり! な、親子の会話になりました。
というわけで、私はこれから、この本を読みます。

こちらもたぶん、未知の領域。
楽しみだなあ!