なくなったら困る110のしあわせ(松浦弥太郎)

この本は、こんな言葉で始まります。

”新しさや便利さという進歩はうれしいものであり、そのすべては、僕たち自身が望んだものだけど、
それと同時に、つい昨日まで当たり前のようにあった平凡なものや取るに足らない習慣が、少しずつなくなっていくことに、ある日気がついた。”

なくなってほしくないものって、人それぞれ、ありますよね。
松浦さんは、それを
”「どこでもドア」よりすてきなもの”
と表現しています。

松浦さんにとっての、どこでもドアを手に入れるよりすてきな物事が、
110個、書かれている本です。

これを読んでいると、
私がなくなってほしくないものって、何だろう。
って、じっくりと考えたくなります。

彼が挙げている、
図書館へ調べものに行くこと。
本屋さんで出会う本。
友だちに大好きな本を貸してあげること。
とかは、私にもあるなあ。

24色の色鉛筆で絵を描くこと。
好きな人の名前を書いてみること。
10円のお菓子。
こういうものも、わかる。
子どもの頃の思い出とつながっているものには、なくなってほしくないものが多いのかもしれません。

読み終えて、しっとりとした幸せの中に、
ひとさじの切なさが混じった気持ちになったので。

私の、なくなったら困るしあわせ。
この本に載っているもの以外に、どんなものがあるかな?
考えてみました。

「自分の手で書くこと。」
これは好き。昔から好き。
キーボードを打つ感触じゃなくて、ペンを握る指先にこめた力。
紙をきゅっと押さえる左手が、夢中になって書くうちに、汗ばんでくること。
筆圧や文字のぐあいに、その瞬間の気持ちがのること。

「自分の頭で考えて書くこと。」
AIが進化すればするほど、あっというまに文章にすることは、できるようになるのだけれど。
その言葉のひとつひとつが、本当に自分のお腹の底から出てきた響きになっているだろうか。
私の言葉ではない言葉で、世界を語ってはいないだろうか。

「特別じゃないおやつをつくること。」
これは、もともとそんなにやっていたことではないのですが。
職場で、シンプルな材料でつくる、素朴なおやつを食べるようになって、
自分の手で、日常がちょっとうれしくなるものや楽しくなるものが、生み出せるのっていいな。
そう思うようになりました。
同じ意味では、名前のない料理もそうかもしれない。
なんかの焼いたの、なんかの煮たの、みたいな。

考えたら、まだまだ出てきそう。
楽しいですね!

そして、こういうしあわせに対して、
印象的だった、松浦さんの言葉がこちら。

”「いいなあ」と思うものは、買わなければいけない。支えなければいけない。
支えてもいなかったのに、自分の景色からそれが消えてしまったからといって残念がるのは、大きく矛盾する気がしています。”

ならば私は、本屋さんで本を買おう。
自分の手で、自分で考えた言葉を書く時間を持とう。
素朴なごはんやおやつを、つくろう。

なくなったら困るしあわせを考えてみたら、
自分がいま大切にするものが、はっきりと見えてきました。

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