児童書のコーナーにあったのですが、これ、おもしろかったです!
自分と、関わる他者が納得できる「納得解」を導きだすための思考力をつける、全51話の「よのなか科」の授業です。
「よのなか科」の特徴は、正解がひとつではないテーマを、ブレーンストーミングしたり、ロールプレイしたり、ディベートしたりしてグループ学習することだそう。
いろいろなテーマが提示されているのですが、読んでいるだけでも楽しい。
たとえば、保健室についての授業では、
保健室は、学校の中で、唯一、先生の評価を受けない場所。
という話があったり。
テレビやゲーム、携帯に使う時間をテーマにした項目では、
学校のいわゆる主要教科の年間総授業時間は400時間足らず。
会社の通勤時間が往復2時間、年間200日の勤務日数なら、年間通勤時間は400時間。
つまり、学校で行われている主要教科の総授業時間数は、親の通勤時間帯にも満たない。
こんな考え方が示されていたり。
道徳の話では、
状況によって「正義」の意味も変わってくる。
それを、「800人の避難所に700個のロールケーキが運ばれたらどうするか」というテーマで思考します。
通知表や、教育予算、バウチャー制を考えるときには、
授業のコストは、時間割り1コマ当たり1000円。
と数字を示して、価値を考えてみたり。
防災について、著者が実際に入学式で、
中学生と小学生のちがいって何でしょう。
(中略)
この瞬間に天井に上げてあるバスケのゴールが落ちてくるかもしれないくらいの大地震が来たとき、助けてあげなきゃならないのが小学生。
助けて避難させるのが中学生。
キミたちには独居老人の安否確認や、エレベーターが止まった病院での患者さんの搬送を、地域社会の大人たちとチームを汲んでやってもらいます。
と話した内容が載っていたり。
人間関係の授業では、自己肯定感を回復するために、
「ナナメの関係」を豊かにしてあげることが大事なんです。お姉さん役やおばちゃん役を子どもにつけてあげること。
家だって、縦の「柱」と横の「梁」だけで建てたら地震に弱い家になります。
人間関係でも、多少の揺れにも強い子を育てるには、「筋交い」つまり「ナナメの関係」の補強が必須なんですね。
こんな例えを用いて、わかりやすく話してくれています。
提示されている思考の材料を眺めるだけでも、「なるほど!」と感心させられることがたくさんありました。
「情報処理力」と「情報編集力」
学力に関わる力には、「情報処理力」と「情報編集力」の2つがある、と書かれています。
その違いは、以下の通りです。
「情報処理力」とは…
教えられた知識を記憶して、早く正確に正解を言い当てるチカラ。
ジグソーパズルを早くやり遂げる力。
狭義の学力と言えるものですね。
「情報編集力」とは…
現実の社会の中で創造的に納得できる解を導くチカラ。
レゴをやるときに要求される力。
対してこちらは、広義の学力と言えます。
藤原さんは、どちらが大切か・必要か、という議論ではなく、「キミたちが学ぶべき2つのチカラ」という前提で、
「脳に引き出しを増やして知識をいっぱい詰め込むことも大事だけれど、その知識をどう組み合わせるか、思考力・判断力・表現力を磨くことも大事」
と話していました。
私が小中学生の頃は、情報処理力を主とした勉強が多かったように思います。
先生に当てられて、正解を言えたら成功、そうでなければ失敗という空気。
でも、娘や息子の授業参観に行ったときに、昔と変わってきているのだな、と感じました。
主要教科の授業でさえ、必ずしもひとつの正解を当てるためではなく、いろいろな意見を出すために発表を促す進め方だったのです。
もちろん正解がひとつの問いの場合もありますし、「きっと先生が求めているのはこんな答えだろうなあ」と先を読んでしまうことでも、子どもたちの発言の時間を取っているように見えました。
確かに、少しずつ、学校教育も変わってきているんですね。
「正解主義」と「修正主義」
藤原さんは、勉強でも子育てでも仕事でも、
はじめから成功を意図して正解を当てようとする「正解主義」ではなく、小さな失敗をくり返しながら試行錯誤していく「修正主義」が大事。
と述べています。
先に挙げた2つの力を使って、修正主義で人生を進めていくこと。
これは、親が子どもに身につけてほしいと願う、「生きる力」の形のひとつなのではないでしょうか。
私の中で漠然としていた「生きる力」というものが、言葉で伝えられる形になっていくためにもまた、複眼思考が必要なのだと思いました。
――ちなみに、昔自分の書いた小説が、どうにもおもしろくなかった理由も、わかりました。
私は、単眼思考で物語を導こうとしていたから、話に伸びしろや深みが出なかったんです。
そりゃあ、つまらなくて当然だ…。
複眼思考を学んだ後の文章は、昔より素敵になるはずです(笑)。