タイトルにつられてしまいました(笑)。
中身は、ドラえもんは8割方出てこなくて、哲学者カントのお話です。
真正面から向き合う
「なぜ生きているのか?」「何がよいことで、何が悪いことなのか?」「自分って何だろう?」
著者の言葉を借りれば、テツガクとは、そういった誰でも一度は考えたことがあることを、真正面からテーマにしているだけ。
それなのに、読むと胸がざわざわします。
なぜかと言えば、これらは「答が簡単に見つからない問い」だからで、大人たちは、
「こんなことを考えてもしょうがない」「もっと前向きに明るいことを考えて生きよう」
というふうに、生きやすいようにごまかしてしまうから。
「おたがいに、ほんとうのことを考えないように、言わないように、気を配って、ごまかしを重ねて」、多くの人は「立派なおとな」になっていきます。
でも、そうは生きていけない人もいる。
ならば、せっかくそのように生まれてきたのだから、こうした問いを「友」として生きることもできる。
結局それがいちばん豊かな人生ではないか、と中島さんは言います。
そのトレーニングができる1冊ですね。
答えの出ない問いを考えるにあたって、「公理」の概念が存在すると知って、私は驚きました。
「公理」とは、「さまざまな定理は公理から導かれるけど、公理自体はほかの何からも導かれない、つまりそれ以上さかのぼることのできない取り決め」であり、
カントの場合は、彼が持っていた「どんなにつらくても真実を求めて生きるのがよい」という、疑うことのできない「信念」です。
だから、この信念に共感しない人は、カントの言うことはわからないかもしれないね、と書かれていました。
これは、日常生活に言い換えれば「価値観の違い」「前提の違い」なのかもしれません。
会話や議論が噛み合わないときって、そもそもの絶対条件がずれていることが多いです。
なるほど、考える学問の土台だな…と、主題に入る前から感心してしまいました。
そして、この本の核心は、カントの道徳論。
帯には、こう書かれています。
そう、「よいこと」ってのは、自分が心の底からほんとうに望んでいることなんだ。
でも、弱いと自分が望んでいることも言えなくなる。
仲間外れにされるのがこわいから、全部他人の意見に合わせる。
ぼく(わたし)はこれでいいんだ、と言い聞かせても、じっと自分自身の声を聞いてごらん。
「これでいいわけない!」っていう小さな叫び声が聞こえてくるだろう?
なぜなら、それはきみのほんとうに望んでいることではないからだ。
とても、強い。真正面から向き合うとは、こういうことなんですね。
カントの道徳論
カントによれば、「道徳的によい」行為とは普遍的なもので、愛からの「美しい」行為は、道徳的によいとは言えないものなのだそうです。
「完全に道徳的によい」行為そのものは「できない」ってことがわかっていても、じゃあしょうがないとあきらめるんじゃなくて、
そんなものは「ない」と決めつけるんじゃなくて、それを「めざす」ことはできる。
これが、カントの考える道徳的にいちばんよい生き方であり、私たちにできるのはここまでなのだ、と。
そのように生きるために必要なのが、強くなること。
強くなるには、人生の暗黒面を見なくてはいけないときにそなえて、真実を学ぶこと。真理を求めること。
カントは私たちに伝えます。
きみたち、人間は平等だって習ったろう。でも、それは弱い者の思想なんだ。
(中略)
こうした弱い者の思想にとどまっていてはダメだと思う。
きみたちがほんとうに強くなったら、強い自分には弱い他人と同じではなくて、ずっときびしい義務と責任を課すのが「正しい」んだ。
そして、弱い他人にはそれほどきびしく要求しないで、なるべくやさしい態度で接するべきなんだ。
カントの考えを受けて、著者の中島さんも、思いを伝えてくれます。
ドラえもんはマンガの世界だけど、きみたちはそれがどんなに魅力的でも、苦労しないで手に入れたもの、人から恵んでもらったもの、などに頼っちゃダメだ。
きみたちは、これからはどんなに小さいものでもいいから「自分の手で」何かをつかまなければならない。そして、自分で自分をきたえて、精神的にも肉体的にも、強くならなければならない。
どんなに思いやりのあるやさしい人になっても、弱ければダメだ。強くなければ、自分の好きなことを貫くこともできない。「道徳的によい」ことを貫くには体力と精神力と勇気がいるんだ。
弱ければ、弱い人をおぶってやることもできなければ、貧しい人を助けてやることもできない、苦しんでいる人の代わりに戦ってやることもできない。強くならなければ「もうじき死んでしまうこと」を含めて、真理を求めることはできない。
とすると、ラクかもしれないけど、ほんとうに豊かな人生を送ることはできないんだよ。
のび太君のままではダメなんだ。これが、最後にきみたちにどうしても言っておきたいことだよ。
私は正直なところ、カントのように自分を縛り、歯をくいしばって「道徳的によい」生き方をすることに、心から賛同はできませんが。
自分の信念を貫くために、心身ともに強さが必要であることは、よくわかります。
子どもを相手にしていると、自身の「公理」と、それを示して生きる「強さ」がなければ、育てていけないと感じます。
私が惹かれる、しなやかな強さを持つ人というのは、「なぜ?」という人生の疑問に、真正面から向き合った後の姿なのかもしれない、と思いました。