「神様」のいる家で育ちました〜宗教2世な私たち〜(菊池真理子)

noteの紹介記事を読んで、気になっていた漫画です。

私の実家にも嫁ぎ先にも、それぞれ宗教があり、お寺の檀家にもなっています。

いろんな信仰の友達にも出会ってきました。

信心深い人から、そうでもない人まで、さまざまに。

私はどちらかというと無宗教寄りで、家族行事として仏事や神事に関わっている感が強いので、いわゆる「不信心者」ですね。

宗教で救われたり、幸せそうだったりする人を見れば、よかったねと思い。

疑問を抱けば、私はそうは思わないなと距離を保ち。

儀式的形式や音楽的旋律は、どの宗教にも必要なのだな…と見比べて。

だから、宗教2世の人の苦しさはわからない立場だけれど、知りたくて読みました。

その苦しさが、いちばん伝わってきたのが、この言葉です。

ただ みんなが当然持っている

何を信じて 何を信じないか決める権利を

私だけ持ったことがない

それが こんなにもつらいんだ

この苦しみは、宗教に限らず、親が子どもに味わわせてはいけないものだと思いました。

「〜しなさい」「〜すべき」が増えがちな親子関係において、しっかりと自立につながるよう、「自己選択・自己決定・自己遂行」を肝に銘じます。

また、学生時代に友達から宗教勧誘を受けて、

「私のことが好きなら、私が大切にしているものも好きになってほしい」

と言われてモヤモヤしていたとき、別の友達からこの言葉をもらって、腑に落ちたことを思い出しました。

本作の言葉を借りるなら、

神や仏に愛されるよりも

私たち 親に愛されたかったんだから

「私は神様じゃなくて、あなたと仲良くしたかっただけ」

という気持ちですね。

私が信じるものは、自分を幸せにするものであってほしいし、同時に他人を傷つけないものでありたい。

宗教問題というわかりやすい形を借りて、日常に潜む価値観と人間関係について考えられる、良い本でした。

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