考えていること、感じたこと。
悩み、夢、希望、悲しみ、怒り、感動、喜び。
したいこと、したくないこと、しなければならないこと。
何であれ、頭の中を、ノートや紙に書き出すことのメリットは、よく言われています。
「書く」というアウトプットの行為によって、漠然と思い浮かべたり、ぐるぐると思い悩んだりするだけではなくなり、現状や目指すところが明確になります。
カウンセラーの先生と話すために、起こったことと思ったことを紙にまとめながら、その効果を、改めて実感しました。
すべてを書き出した時点で、気持ちは8割方、落ち着いていました。
そもそも書いてきたはずだった
物語だったり、詩だったり、手紙だったり、日記だったり。
形は違えど、書くことで、私はずっと「私」を作り上げ、保っていたはずでした。
作品として書き上げることはなくなっても、書くことそのものは、ずっと私の暮らしの中にあったはずなのに。
それをやめてしまったのは、いつからだったのか、思い返してみました。
結婚して、同居してからです。
自分の部屋も、本棚も、机の引き出しも、勝手に開けてしまう義家族がいたため、書いて外に出すことができなかったのです。
子どもの頃から、自分の内面に、勝手に侵入されるのが大嫌いでした。
書き出せずに内で渦巻いていた思いと、使わない物にあふれた家とが重なって、心底嫌になったのかもしれません。
だから、完全同居から敷地内同居になって間もなく、断捨離に目覚めたのかな。
ふり返ると、そんな気がしました。
今もまだ、紙媒体には書けません
完全にプライバシーが守られているわけではないので、家を空けるときに、ノートや紙を置いて出るのが怖いです。
パソコンは、旦那さんと共用なので、やっぱり気軽に書ける媒体ではなく。
スマホが、今のところ、いちばん書きやすいように思います。
それでも、こうして書き残せるのは、あとで読み返しても苦にならない、まとまった思いだけですが。
ブログの下書きの段階で、かなりアウトプットできている気がしています。
だけど、やっぱり、素敵なペンやノートを見ると、うきうきするんです。
落ち着ける空間で、いろんなものを書くのは楽しいだろうな、と想像することもできます。
すっきり片づいた家もいいけれど、その中に、隠れ家ブックカフェのようなお部屋が作れたら、もっと素敵かも!
カウンセラーの先生に話さなければならないほど、沈み考えていたことがあったはずなのに、それすら自分の「好き」を見つける道具になる。
つらいことを、悲しみとして持つのではなく。課せられた修行のように向き合うでもなく。
それを経た結果、より自分が理解できて、嬉しくなって、感謝したくなります。
「ご機嫌に生きる」って、こういうことなのかもしれないな、と体験できた出来事でした。