言葉にならない「自分軸」

今日は、まだうまく言葉にできないのだけれど、子育てにおける私の「核」のような「芯」のようなものについて、書いてみようと思います。

【言葉にならない「自分軸」】

うちの子どもたちは、発達障害や学校不適応で、いろいろな機関から、いろいろな支援を受けています。

自分が100%正しい自信があるわけではなく、手探りで、それでも良かれと思ってしてきた子育てが、

子どもたちにとってはそうでなかった。とわかったときの衝撃は、さらに自信を失うのに十分すぎるほどで。

そんな中で、手厚くサポートしていただけて、親子で新たに一歩ずつ進めるという、すごく恵まれていて、ありがたい環境にいます。

ただ、数多くの支援を受けたがゆえに、中には「これはどうしても私には合わない…!」と感じるものも、またあるんですね。

たとえば「子どものためには、こうするべきだ」という選択肢を、ひとつ示されたとき。

いちばん大事なのは子どもの意思なので、その次の段階の話です。

論理的にはそれが正しいのだろうと、頭では理解できる。

だけど、どうしても自分の心が動かず、受け入れ難い…というとき。

最終的に、じゃあどうするか? と決断する瞬間に頼れるものは、生存本能のような自分の直感しかないんです。

あえて言うなら、親の勘としか表現できないのですが、それをきちんと言語化して、相手に説明するのは難しい。

私なりに、できる限りたくさんの角度や視点から考え抜いているつもりだけれど、その直感を、親のエゴではないと言いきれるだけの材料もない。

感覚だけで答えを出すことに不安はある。

でも、自分にとっては、絶対的な確信めいたものがある。

この感覚の真ん中にあるものが、たぶん私の子育ての理念や、軸になるものなんです。

今はまだ言葉にはできないまま、子どもたちと向き合っています。

でもいつか、しっかり言語化してみたいです。

こういう言葉にならないものや、答えの出ないことを、頭の中でぐるぐると考えているのは好きでしたが、

外に発信した経験は、そういえば、ほとんどありませんでした。

これはこれで、とりとめのないおしゃべりみたいで、楽しいです!

受け取ってくださる方々に、有益な情報や極上の楽しさを提供するようなものではないけれど。

「読みやすい・聞きやすい・心地よい」とりとめのなさ、を感じてもらえるように、

未完成な自分のことも、ありのままに伝えられたらいいなと思います。

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