子どもと離れて暮らす親心が、ちょっぴりわかった出来事がありました。
【その記憶、遺伝子レベルにつき】
家族で出かけた先に、プリキュアの展示があったんです。
プリキュアといえば、長女が保育園の頃、大好きだった鉄板アニメ。
「ねえ、プリキュアだよ! プリキュアがいる! ちょっと写真撮って!!」
興奮して、展示と一緒にひとり記念撮影をしたのは、娘でも息子でもなく、なぜか私です。
10年前に観ていた中学生の娘は、とっくにブームを卒業していますし。
私自身、ひとりでも夢中になるほど、プリキュアが好きだったわけではないのですが…。
この謎のハイテンション、実はちょくちょくやってきます。
道を歩いていて、電車や工事車両を見つけると、
「ほらっ、電車来た!」「あっショベルカーおるで!」
と、トミカやプラレールが好きだった息子たちに、興奮して語りかけてしまうのです。
#本人たちは現在さほど興味なしです
今でも反射的にはしゃいでしまうぐらいには、子どもの好きだったものは、私にも染みついています。
子どもとの思い出は、プライスレスに大切だからなのか。
子どもを守り育てるために、知っておくことが必要だったからなのか。
もう、遺伝子レベルで深く、親の記憶に組み込まれているとしか思えません。
これって、離れて暮らす親や、たまに会う祖父母が、
「これ好きだったよね」って、お菓子やら何やらくれるのと、たぶん一緒なんですよね!
その親心が、ちょっぴりわかった出来事でした。
ただ、子どもの成長やライフスタイルの変化は激しいので、わが子にはなるべく聞くようにしています。
「これ好きだったと思うけど、好みが変わったら言ってね!」
「今はこれが好きとか嫌いとか、お母さんは知りたいと思ってるよ!」
“これが好きなはず”という思い込みで、一方的に愛情の押し売りにならないようにしたいです。
現在進行形で思い出を作りつつ、楽しかった記憶は大切に持っているというのが、今の私にはベストかなと。
自分より上の世代に対しては、相手の状態によっては、思い出を崩さないように配慮することもあります。
昔のままの愛情を受け取るのも、こまめに会っては思い出を上書きしていくのも、親孝行・祖父母孝行。
そのときどきに最適な形を探しながら、両親や子どもたちと向き合っています。