お昼過ぎに入ったカフェは、いつもよりお客さんが多く、隣の席の話し声がよく聞こえてきました。
おばさま2人が、ランチを食べながら、日本とアメリカの社会保険制度について、話しています。
私の両親世代より年上に見えましたが、ずいぶんとグローバルなんだな…と、聞くともなしに聞いていました。
店内ではいちばん声が通っていたので、自然と聞こえる内容も多くなります。
どうやら、2人とも、アメリカ暮らしの経験があるよう。
同じく海外に出ている子どもさんの話も交えて、日本とアメリカの生活の違いを語り合っていました。
すごいなあ、おもしろいなあ…と、思わず聞き入ってしまいます。
でも、あまり耳をそばだてるのも失礼かと思い、手持ちの本を広げていました。
やがておばさまたちは、私とは反対側の隣席にいた女性2人にも、話しかけ始めます。
「やかましくてごめんなさいね」
「彼女はもう50年、アメリカで暮らしてるの。同級生でね、久しぶりに会ったの」
「私たち、もう70歳になったし、遠いから、会うのも最後かもねって笑ってたところ」
1人は、ずっとアメリカに暮らしているけれど、親が亡くなって、その片づけのために、日本に来たと言います。
もう1人は、若い頃にアメリカで生活していて、今は日本に戻っている、と。
「海外は若いうちに見ておいた方がいい。何もかもが勉強になるわ」
若い女性2人の方も、うなずいて聞いています。
カフェで聞こえてくる他人の話って、あまり快く感じることはないんですが、今日は何だか楽しくて、つい耳をすませてしまう。
いったい、何が違うんだろう?
突き抜ける明るさ
「私はね、いろいろあったけど、今がいちばん幸せだと思ってるの」
その言葉が聴こえたとき、わかりました。
底抜けに前向きに明るいから、聞いていても嫌にならないのだ、と。
幸せだと心から思っていて、それを素直に口に出せるような人だから。
よくある普段のざわめきから聞こえてくる、日本人独特の井戸端会議のような、愚痴や諦めや、慰めめいた空気感が一切なくて、潔いんです。
それは、聴いていても楽しいはず。
私もこのお2人と、しゃべってみたいなあと思いましたが、話しかけることはできませんでした。
去り際に、こちらにも「ごめんなさいね、うるさくなかったかしら」と声をかけてくださり、
私は「いいえ、ちっとも。ありがとうございます」と、笑い返しただけでした。
ただ聴かせてもらっていただけでしたが、人を気持ちよくさせる会話というものを知ることができて、素敵な出会いでした。