【エッセイ】時間がないけど、本屋さんに行く。

用事と用事の間に、20分ほど時間が空いた。
早めに次へ向かってもよいのだけれど、
せっかくなので、何か豊かなことに使おう、と思った。

カフェに入って、ひとりでコーヒーを飲むのはどうだろう。
本を片手に長居するだけの時間はないゆえに、
逆に、コーヒーをゆったりと味わうことができるのではないか。

…だけど、今まったく喉が渇いていないし、空腹でもないんだよなあ。
お腹が空いていないところに、わざわざ飲食物を入れるのは、豊かなことではない。
豊かとは、必要以上にたくさん、とは違うのだ。

そんなわけで、本屋さんに行くことにした。

いつもなら、30分以上の時間がなければ行かない場所だ。
だって、それ以下では、足りなさすぎるんだもの。

まず入口の平積みを見て、そこから順ぐりに書棚を回遊して、
気になった本は、ぱらぱらとめくったり、そのまま夢中になって立ち読みしたり。

店内を歩くうちに、腕には数冊の本を抱えている。
「これ、買って読もうっと」
と思った品々である。

回遊しながらの読書を楽しんだあと、ようやくレジに向かうのが、お決まりのコース。
行きつけは小さい書店だが、最低でも30分はかかる。

だから、時間がないときは、行かない。
私は、本屋さんに行くためだけの時間を作って、ゆっくりと行きたいんだ。
そう、すきま時間じゃなくて、わざわざ時間を作る派なのだ。

そのような私が、あえて主義を曲げ、すきま時間に本屋さんに行く。
不完全燃焼になるかもしれない…と、少しばかり心配しつつ。

結果、行ってみたら、とても良い時間だった。
すきま時間だろうが、わざわざ時間だろうが、好きな場所は好きなのだ。

好きな場所なのに、これまで、
「時間があるときに行きたいから、今は行かない」
という選択をしてきたことが、自分でも不思議だった。

子育て中、子どものイヤイヤ期にあたる頃ぐらいから、
すきま時間に「好き」を楽しむことを、いつのまにか、あきらめていたような気がする。

本屋さんに行くのは、私にとって、読書や文章を書くことと同じ。
そのためだけに時間を作る、贅沢な楽しみも、
暇さえあればやってしまう、呼吸のような楽しみも、
どちらも豊かで、心を満たす行動なのである。

また行こう。

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