「理想の食べ物」について、おしゃべりし合うのを聴いていて、思った。
「理想」は、記憶や経験も織り込まれて、完成するものなのだな、と。
たとえば、お母さんの卵焼きや、おばあちゃんのおむすび。
子どもの頃に、もいで食べた木の実や、絵本で読んで憧れたお菓子。
こうしてみんなでおしゃべりしながら、食べてみたいな、とわくわくした気持ち。
そういうものが全部、味わいに加えられて、理想の食べ物になるのではないか。
私も、母の手料理は好きだし、理想のひとつであると思う。
けれども、今と昔では、母自身が味つけや作り方を変えているものも、たくさんある。
私の好みも変化している。
純粋に、味だけを理想としているわけではないのだ。
「あの頃、ああやって食べた、この料理」を、思い出込みで、今食べる。
その体験こそが、私にとっての「理想の食べ物」なのだ。
理想の暮らし、理想の生き方、理想の品物なども、同じかもしれない。
今まで経験し、見聞きしてきた物事の中から、
自分に添う感覚や、心踊る気持ち、幸せや喜びが選りすぐられて、
私だけの「理想」を、作り上げていく。