【noteエッセイ】まっすぐに

私は1980年生まれ。

青春時代のど真ん中である、90年代のJ-POPを聴くと、

「これほどまっすぐには、生きられない」

と、胸を射抜かれるような、眩しさに目がくらむような気持ちになる。

でも同時に、当時の私は、そんなにまっすぐだったかなあ…とも思うのだ。

若さ由来の無謀と甘さは、十分に持ち合わせていて、心も今より無防備ではあったけれども。

きらきらと、まっすぐに駆け抜けた青春時代ではなかったのも、確かである。

それなのに、どうして「まっすぐには生きられない」と感じるのだろう。

今の自分には、何かしらのまっすぐさが足りなくて、昔はそれを持っていたはずだと、信じたいからだろうか。

昔のような、周りを顧みない直進力を、取り戻したいわけではない。

ずるずると自分を甘やかす怠惰さを、手に入れたいわけでもない。

私が今まっすぐに向き合えないのは、たぶん自分自身に対してだ。

傷つきやすかった心を、何重にも守るうちに、見えなくなった本音がある。

青春時代のJ-POPは、そこを的確に突いてくる。

本当に、そう思っているのか?

それが私の望みなのか?

今の私は、あの頃なりたかった私を超えているのか?

少女だった私が、まっすぐに、大人になった私を見つめている。

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