【noteエッセイ】きみとともに

うちの子どもたちは、普通には学校に行きづらい葛藤を抱えていて、遅刻・早退・別室登校の常連さんである。

学校だけでなく、しかるべき福祉や医療の支援も受けながら、それぞれの毎日を送っている。

親である私も、各支援先や学校と連携してサポートにあたるため、先生方とお話しする機会も多い。

先日は、選択性緘黙症である息子の担任の先生が、

「最近、首振りの返事だけじゃなくて、お話ししてくれるようになったんですよ!

今日はカブトムシとクワガタムシの寿命の違いについて話してくれて、僕は知らなかったので、すごいなあと思って!」

と、本当に嬉しそうにお話ししてくださった。

これまでにも、いろんな先生から、

「一緒にソフトボールしました、すっごく上手でした!」

「椅子を片づけるのを手伝ってくれたんです! 力持ちで、一気にたくさん運んでくれました」

「今日は『やってみる』と言って、みんなの前で、二言も感想を発表してくれたんです!」

など、丁寧な連絡をいただいている。

私は、それがとても嬉しい。

“みんなと同じように学校に行けない”というだけで、身内から容赦なく責められることすらあったのに。

私自身も余裕をなくして、子どものよさに目を向けられなかった時期もあったのに。

誰かが小さな「できた!」を、一緒に喜んでくれる。

同じ目線で、同じ温度感で「やった!」を分かち合ってくれる。

私は、それがとても嬉しい。

私も、それをできる大人でありたいと思う。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする