【noteエッセイ】日々美術館

浜沿いの、車が通らない裏道を歩く。

干したわかめが、風にはためいている。

ぷんと、磯の香りがした。

海を見つめて、軒先に座るおじいさんがいる。

置き物みたいに動かない。

こんにちは、と頭を下げると、ゆったりした声で、こんにちはと返ってくる。

口もとだけが、わずかに動いている。

古い家がみっしりと並んだ路地裏に、そっと体を滑り込ませた。

窓辺に、色褪せたぬいぐるみが、ていねいに並んでいる。

ひとつだけ、ことりと倒れたままで、遠くを見ている。

開け放たれた玄関先から、穏やかな目をした犬が、ひょっこりと覗き込んでくる。

お線香の匂いが、ふわりと漂ってきた。

そこかしこに、暮らしの気配はするのに、音がしない。

自分の靴音だけが、響く。

畑にしゃがんで、草むしりをしているのだろうおばあさんも、

塀の上にうずくまる猫も、私に目を向けることもない。

ただ、一枚の絵のように、そこにいる。

海は青く、空はさらに青く、春のかたちをした雲が流れて。

動くものは、風しかいない。

誰も息をひそめていないのに、とても静かだ。

今日は穏やかな晴天で、波の音さえ届かない。

いつもと変わらない日常の中を、美術館にでも来たかのような心持ちで、

春の気配を、心の向くままに鑑賞しながら、どこまでも歩いてゆく。

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